2020年1月6日月曜日

武道教育とは?

 2020年になりました。喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただきますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今日(1月6日)から稽古はじめとなりますが、それに先立って4日(土)に、門馬師範と指導員での新年会が開催されました。

(↓会の様子は菜穂子先生のブログから。)
https://ameblo.jp/minamikaze14106/entry-12564746345.html




 会の終盤では、各指導員から今年一年の抱負を述べました。今までは、「今年は○人まで門下生を増やすことを目標にしたい」みたいなことを言っていたのですが、それでは大切なものを見落としてしまいます。

 考えるべきは、どうやったら門下生が増えるのかという方法ではなく、どのような道場ならば人が集まってくるのだろうか、というその理念。
 そして門馬道場では、「武道教育」という理念を掲げて実践しています。


 どうやって門下生を増やすか?というその方策が試されるわけではありません。門馬師範は「自分の信念とそれを支える情熱があれば、おのずと人は集まってくる。門下生がどれだけいるかというのはバロメータに過ぎない」と仰いました。
 門下生の数。ただそれだけを追い求めていては、武道教育を謳った詐欺団体でしかないのです。

 なので指導員新年会での師範の訓示をいただき、改めて考えなおす機会となりました。

 武道教育とは具体的には何なのか?そして、それを実現するためにはどうしなければならないのか?

 これらの問いに答えられなければ、どんなに崇高な理念であっても絵に描いた餅でしかないのです。もちろん今までもそれは考えてきましたが、積極的に伝えたり発信するようなことはしていませんでした。信念も情熱も、自分の中にあればいい。そう思っていたのですが、それではだめだな、と。

 一年の計は元旦にあり、といいます。すでに元旦は去って久しいですが、今年初めてのブログに改めて書いておきたいと思います。


■武道教育ってなに?
 門馬師範はよく反省会などの訓示のなかで「突きや蹴りだけを教える道場なら指導員はいらない」と仰います。それにはどのような意味が含まれているのでしょうか?
 
 その意味を汲むためには武道教育とは何なのかが分かる必要があります。当時、門馬道場に入ったばかりのとき、門馬師範と道場を担当するにあたってお話させていただいたことを受けて考えたメモが残っています。
 下図は、余計なメモ部分を取り除いて図に起こしたものです。



 心技体とはよくいいますが、当時のメモの走り書きでは、技と体の成長を支えるのは心だから、下で支える基盤になるのではみたいなことを書いています。


 武道教育というのは、心、技、体の3つの領域を空手によって鍛えることで初めて実現されるものなのだと思っています。
 師範が仰る「突き・蹴りだけを教える道場」というのがなぜだめなのか。それは図でもわかるよう、それが技のごく一部分に過ぎず、どれだけそれに特化して教えたとしても、武道教育の実現には程遠く、圧倒的に足らないからなのです。


 入門してまずはあいさつの仕方や道場の出入りを習って、それから準備運動や基本を少しずつ覚えて…。最初の段階では、心技体とも小さな小さな、独立した円に過ぎません。そこから稽古を通していろんなことを覚え、少しずつ円が大きくなっていき、やがてその3つが重なり合う部分が出てきます。






 
 と、私が師範の話を受けてイメージした武道教育は、このような形です。
 3つが調和した状態になって、自分で自分の感情の手綱を握れたとき。はじめて臆病さは慎重さに、蛮勇は勇気へと形を変えます。


 わかりやすくそして、積極的に発信しなければ理解など得られるはずがありませんし、理解が得られなければ協力も得られません。それではだめなのです。

 この武道教育は、指導員が正しいコンパスと信念を持っているだけでは実現できません。門下生たちが挑戦する場としての大会、共にがんばる仲間との絆を見つけて深める合宿、自分の成長を確かめるための昇級・昇段審査。そのどれもが、保護者さんの協力をいただくものばかりです。まずは考えを伝え、知ってもらうことが第一歩。そのため今年一番最初のブログに書きました。

 信念と情熱、そしてそれを実現させるための「冷静な熱さ」をもって、今年も全力で取り組んでまいります。どうぞ、大会運営や成長の見守り、背中の後押しなど、変わらぬご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。

山名 慎一郎





国際空手道連盟 極真会館
(社)世界総極真
NPO法人 極真カラテ門馬道場

師範  門馬 智幸
指導員 山名慎一郎

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