2025年5月14日水曜日

AI

 2025年、新しい年度が始まって一カ月半が経ちました。道場も卒業した門下生も多く寂しくなった一方、新たな仲間もたくさんできました。

 道場に携わっていると、少なからず門下生のライフステージに寄り添うことも多くなります。進級、進学、就職、転勤などなど…。

 いま桑野道場にも関わっていることから郡山の事情も少し把握できるようになり(住んでいるくせに以前は福島市のことばかり気にかけていました)、特に今年は安積高校の付属、安積中学校の第一期となる入学試験が行われました。 

 学歴という言葉は昔から厳然としてありますが、気になる記事を見つけました。アメリカの記事ですが、日本語に翻訳されています。


Z世代が語るAI時代における学歴


 大学は時間とお金の無駄だ。少なくともZ世代の49%はそう感じており、AIによって学位の勝が下がったと、Indeedの報告書は述べています。

 AI時代において学歴はほんとうに無駄なのでしょうか?


”情報は誰でも理解できるようになったその瞬間、価値を失う”

 かつてインターネットが発明されたときも同じように取り沙汰されていました。情報のコモンディティ化、陳腐化が進んだ、という言説です。AIはさらに一歩、進んだ次元で私たちに情報をくれます。


 一定の面からは、学力の価値は失われたといっていいかもしれません。必死に公式を覚えても、必死に図表を覚えても、どうがんばってもAIの持つ記憶力や計算処理能力に私たちがかなうはずがありません。

 AIの登場・普及は、学力の在り方を大きく変容させました。しかしそれは決して学力の有用性を否定するものではありません。


 仕事柄AIはだいぶ使っているのですが、使えば使うほど、いろんな素養が求められることを実感しています。

 例えば、プロンプトと呼ばれるAIへの指示。意図を正確に伝えられるか、というのはもちろんなのですが、そもそもAIは指示に応答してくれるもの。どんな指示を出すのか、吐き出された情報のファクトチェックと適切な使用方法というのは、他ならない扱う人によります。むしろAIで競争の次元が高くなるなか、いかに適切に使いこなせるか、という観点からはむしろ学力の差が如実に反映されるのではと思っているのです。

 

 一方で、AIが決して立ち入れない領域の価値は、ますます高まってくるのでしょう。現状、プロスポーツ選手がAIに置き換わられることはなさそうですし、検索、統計、確率で言葉を返してくるAIは、非論理的な感情、精神論を理解することができません。斜め上の想像力、なんてものはAIには出せないのです。

 そうなると、日本の伝統文化の一つである武道がもたらしてくれるものというのは、AIでは代替ができないものだと痛感しています。


 よくニュースなどを見ていると政治家の姿を目にしますが、ほとんどが2世、3世議員だったりしますよね。経済力や地元の基盤を受け継いで政治家に。政治力っていうのはおおきな力だとは思うんですが、権力を受け継ぐんだったらその振りかざし方も教えてもらっとけよ、なーんても思うのですが、空手も一緒ですよね。


 私たちは突き、蹴り、その攻防の技術と威力を高めるために空手の稽古をしています。でもそれで得たいのは、技術でもなく威力でもなく、自分はもちろん、大切な人をも守り抜ける強さ。だから、その振りかざし方を、返事や挨拶として道場で教えています。


 AIで人間のすべてが代替できるわけでもないですし、よりよく活用しようとするならば、使う側の人間が学ぶことは絶対に必要です。無価値になった、というよりも努力しなければならない方向性が変わった。けれどもそれは、武道教育が育んでくれるものとは全くの無関係で、未だこの領域にAIは踏み込めない。

 そんなことを考えているうちに、「文武両道」なんて言葉は、さすが昔からいまなお残っているだけあって、的を射た言葉なんだなと思いました。

 勉学にしろ武道にしろ、「なぜやるのか」って目的をもった明確な意思がないままだと、残念な結果に終わってしまうのはいままでたくさん見てきましたが、少なくとも。私の手が届く範囲の門下生には、ちゃんと伝えたいなと思います。


 というわけで大型連休が一つ過ぎてしまっている2025年ですが、今年度もみんなで頑張っていきましょう!





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