福島に戻り、仕事に復帰してから4日目になりました。父の容態も急変ということで予期しておらず、仕事も心の準備もままならないまま送り出す形となってしまいました。稽古も急にお休みをいただき、ご迷惑をおかけしました。また空手関係の多くのみなさまからお心遣いいただき、ありがとうございました。この場を借りまして、厚く御礼申し上げます。
未だ心の整理はつかないのですが、振り返ってみると人生っていうのは縁に恵まれているな、と思います。奇しくも、親父の命日が師範の誕生日と同じ日になってしまい、2月6日は色んな意味で特別な日付となりました。
結婚式が終わったあと、普段めったに人を褒めない師範が(笑)、「親父さんかっこいいよな」と言っていただけたのを覚えています。親父も空手こそしていなかったものの、数々のエピソードには事欠かないのですが、ふと分かったことがあります。師範といろんなものごとの考え方がとても似ているのです。それに気付くきっかけになったのはアルバイトについてでした。
師範のアルバイトについての持論を聞いたことがある人もいると思います。家庭の事情などでどうしてもしなければならない人もいるだろう。けれど、それが社会経験になったり、就職で役立つことはない。社会が求めるのは、何かに一生懸命になれた人だ。選手として全日本のような舞台で活躍したければ、バイトなんてするな。甲子園に出場するような高校球児でバイトをしているような人はいない。
やや語気が強いので、アルバイト経験がある人の中には反発心を持った人もいたかもしれません。ですが、これは事実です。
大学時代、とある事情からお金が必要でした。それも学業とは全く関係なく。けれどその経験は、絶対に今後の人生で貴重なものになる、と確信して打ち込んだものでした。なので当然、アルバイトをはじめようとしたのですが、親父からは「アルバイトなんかするくらいならば、仕送り増やすからそれで賄え」と言われました。大学時代を知る友人からすると、長期的なバイトを全くしていないのにどうやって?と思われたことでしょう。単発的なものはやりましたけれど(^^;)
時間というのは、唯一すべての人間に与えられた平等な資源です。その時間をどうつかっていくのか。空手を教えているのでもちろん空手に充てなさい!というべきなのでしょうが、空手はもちろん、読書でもいいし、旅でもいい。「自分自身と付き合う時間」として使えば、「自分」という代替のきかない存在と向き合うことで、時間という資源を何倍にも有効に使えるのです。
アルバイトの場合、よほどの欠点さえなければ誰でも構いません。普通、その人の持つ能力や技能、経験に合わせて賃金というものは定められるのですが、アルバイトが自給いくらと定まっているのは、そのような求められるものが一般常識の範囲内でしかなく、誰でもできるからです。誰でもできるものを経験したところで、それは社会経験になどなりません。いわば、自分に与えられている時間を換金しただけのこと。換金作業は、最低賃金という定められた金額で行われるだけで、幅があっても数十円というところでしょう。
それだけに、学生時代をアルバイトに費やすということがどれだけもったいないことなのか、ということを知っていたのでしょう。結局、アルバイトらしいアルバイトをしたのは、就職するまでに空いた期間の書店だけでした。相当な放蕩息子だったと思いますが、思い返せばとてもありがたい経験となった大学時代でした。
アルバイトも全てが無駄と切り捨てるわけでは、もちろんありません。例えば、大学時代の友人は、マックでバイトをしていて、そのままマクドナルド社に就職しました。バイト経験がそのまま仕事に生きた例ですが、極めてまれな例です。マクドナルドも慈善事業ではない外資系外食産業大手ですから、バイトの中から自分の強みややりがいを見出せるくらい熱意をもって取り組んだからこその結果です。バイトをしていたというだけで採用はしないでしょう。
自分の場合、本が好きだったので書店でバイトしました。色んな話を聞かせてもらい、いい書店の見分け方、棚の見方、いろんな本と出会う機会などを得ることができました。時給よりも、自分自身の好きなことを優先させたためでしょうか。バイトの賃金以上に、今でも本や書店を選ぶ基準になっており、これからもそれは生き続けることでしょう。
その他、パラリーガルなど司法試験を目指す人が、法曹の手伝いをするバイトなど、自分の志があって専門性の高いものは有意義なものになるでしょう。
けれど、自分で通えるか、不健全なものでないか、学生でも雇ってもらえるか。ただそれだけの視点で決められていることがほとんどです。見ていると、貴重な時間なのにほんとにもったいないなと思います。
学生時代は心を割り切って、親に甘えて興味のあることにのめり込むべきでしょう。そのほうが長期的にみたときに、いい場合の方が圧倒的に多いと思います。その甘えた部分で有効に活用できた時間は、将来必ず自分に返ってきます。そのとき、親に返せばいい。
就職活動時、エントリーシートを必ずといっていいほど書かされます。どのエントリーシートも「学生時代に学業以外で頑張ったこと」という項目がありました。おそらく。今の立場でエントリーシートを見れば、この欄にバイトのことが書いてあれば、よほどの家庭の事情や、相当な志や覚悟をもって決めたバイトでもなければ「あぁこの人は何もしてきてないんだな」と判断します。それもそのはずで、バイトは誰でもでき、替えもたくさんいるわけで、それは単なる労力であることを意味し、その人を採用する魅力や根拠には到底なりえません。もしかすれば機械やロボットの方が何倍も効率的にこなすような時代がくるかもしれません。
それよりも、野球に打ち込んでチームに欠かせない存在になった、空手で挫折ばっかり味わったけれどもやり抜いた。そんな人こそが代替の効かない「人材」です。
人材として見られたいか、労力として見られたいか。そこを考えるだけでも、好きなことに打ち込める、いまこの時間を大切にしてもらいたいと思います。
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