2018年12月5日水曜日

グレーゾーン

 だいじな書類をコピーしたら、前の人がリセットしなかったため白黒コピーがでてきました。


 福島西道場では、稽古の日程や行事のお知らせなどをまとめて毎月おたよりを発行しています。それ以外に、少しでも考えていることが保護者のみなさまへ伝えられれば、と思い、コラムのような形で少しだけ文章のスペースをいただくことにしています。その中で書いたことを、少し補足して書きたいと思います。

 さて、間違ってでてきた白黒コピーですが、結局汚い印刷になってしまい、やり直すはめになってしまいました。普段はグレースケールでの設定になっているのですが、うっかりリセットし忘れ、大量の白黒コピーをしようとしたら、荘厳な感じでフルカラープリントがでてきて、あわててストップを連打する、なんてことも珍しくありません。

 白黒コピーは、白と黒ではっきり階調が別れてコピーされます。普段の設定はグレースケールで、白黒とその濃淡でコピーされる設定です。極端にメリハリつけられると、逆に汚くなってしまったりします。

 いま、「多様性」という言葉が注目を集めています。LGBTと言われる性の多様化に見られるよう、ざっくり言うとまざまなあり方を認めようという考え方です。これって見方を変えれば価値観の柔軟性、視野の広さをあらわしているようにも思います。


 小学生の頃。間違いなく私は頭が良かったです。中学受験のための進学塾に通っていたこともあり、テストは100点が普通。95点などでも親の顔は曇ってた記憶があります。客観的数値で、間違いなく頭が良かった。
 けれども大人になったいま振り返ってみるとどうでしょう。子供のころに評価されていた「頭の良さ」と、いま、羨ましいと思う「頭の良さ」はまったく異質のものであることに気づきます。
 かつての頭の良さっていうのはせいぜい100点が取れるところが限界だったのですが、社会で活躍している頭のいいひとっていうのは、150点とか100点+αとかとってきますからね。


 いまや小中学生がスマホをもっていて情報にアクセスできるユビキタス社会。東大を受験するために研鑚を積んできたベテラン受験生がいたとしても、センター試験で言えば地歴・公民・理科系の一部科目なんかは、スマホをもった平凡な中髙生の方が高得点をとれるでしょう。言い換えれば、勉強で得られる、テストで測れる範囲内の頭の良さっていうのは、スマホがあれば事足りるものだったりするんですね。


 もちろんすべてがそういうわけではないですし、テストの点数によって頭の良さ、よりも、「着実に勉強に取り組む姿勢」「努力できる人だ」といった見方もできるので、勉強が無駄だと言っているわけではありません。
 こういうインターネットが発達して誰もが扱える環境になったことで、「知識」の価値は急速に陳腐化しました。知識というのは、誰もが理解できるようになったとたん、その価値を失ってしまうのです。


 いま思うに、このような社会における頭のよさっていうのは、「正解がないことを知っている」ことと「ものごとを白黒ではなく色合いやグラデーションで見れる人」なんじゃないかなと思います。

 大人の皆さまは骨身に染みているかと思うのですが、「正しい」というだけで社会を乗り切れるのならば、なんと生きやすい人生でしょうか。むしろ正しいが通用しない、グレーゾーンの方が圧倒的に多いわけで。その中において、自分の価値観の線引きをどうするか。そこが大事なように思います。


 清濁併せ飲む生活の中で、自分の色を失わないように。白黒でしか線を引けない人よりも、グレースケールで微妙な色合いの変化の中で線を引ける人のほうが、細かな判断・コントロールができることは言うまでもありません。そのためには、周りの風潮や色合いに惑わされない自分の芯が必要になります。

 ロジック(論理)・シンキングが注目されていましたが、ロジカルの弱点は、前提が偽であれば、後の展開もすべて偽であるということです。人間で言えば、この前提っていうのは精神論・価値観の部分を指します。


 人を殺すのは是か非か。この問題は、実は論理的には答えがだせません。いまの社会では「人を殺してはだめ」というのが常識ですが、その理由と同じだけの「人を殺してもいい理由」を挙げられるし、実際に過去には切捨御免と言われるような時代があり、今でも正義を掲げて戦争していたりします。むしろ死刑囚のように殺されることを望まれている命すらある結

 局のところ、つきつめていくと最終的には自分の価値観が出発点であり最終決断の要になっているわけです。だからこそ、白虎隊で有名な日進館の「什の掟」も、最後は「ならぬものはならぬ」と有無をいわせず禁止する内容で締めているのだと思っています。

 そんなあやふやな存在だからこそ、少しでも正しくありたい。そのための健全な価値観、強い信念を育んで、「己の芯」を形成していくのが武道教育の目的だと捉えています。そしてそれはこれから長い人生を生きていく上で、知らず知らずのうちにでも大きな助けになると確信しているのです。


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