「この曲好きー??弾いてみた!」
そんなメッセージと共に送られてきた動画は、中学時代を思い出させてくれる懐かしいメロディだった。
中学時代。そんなに仲が良かったのかというと、そういうわけでもない。かといって嫌いなわけでもない。ただ、彼女は偏見を持たず、誰とも同じように接していた。いわゆる学級委員長タイプだった。
中学校3年時、まともな時間に登校していた記憶があまりない。昼前頃、駅になっている大学の中をぶらぶら歩き、学校に行って、適当な時間で友達と帰っていた。空手以外は目もあてられないような生活だったと思う。
学校もまともに行かず、勉強もしないのに高望みばかりしていた自分と違い、彼女はとても優秀だった。当たり前のように、自分が行きたいと高望んでいる高校か、さらにその上のランクの高校に進学するんだろうと思っていた。けれども意外な進学だった。
当時の恩師のおかげでなんとか踏みとどまり、当時でそこそこの高校に進学が決まった。当然、彼女は自分なんかよりも相変わらず優秀だったから、もっと進学校に行くものだろうと思っていた。
進学したのは、とある私立高校。偏差値でみればだいぶランクを落としたように見える。「なんでだろう?」なんて思いつつも、その理由を聞くこともなく、やがて卒業を迎えた。
それからは高校で3年、卒業後、福岡に出て4年と時を過ごし、彼女と再会したのは就職してからのことだった。東京から帰省したおり、当時の恩師と彼女と、その友人とで会った。
彼女は高校の音楽科の教師になっていた。当時、あの私立高校に進学したわけは、あとから聞いた。芸術科があること、特待扱いで学費がかからないから選んだこと。
当時、偏差値とランクしか見えていなかった自分なんかより、彼女ははるかに視野が広くって、周りに流されない強さを持っていた。一般的な価値観に左右されない「自分のしたいこと」という芯、ブレることのない絶対の価値観。そのどれも理解するにはあまりに私が幼すぎた。自分が恥ずかしくなったのは言うまでもない。
社会に出たいま、中学の時に自分を縛り付けていた「偏差値」なんてものはごくごく小さな物差しに過ぎなかったことを知る。ないがしろにしていいものではないけれども、そんなものでは測れない魅力的な人たちがいる。そう思えるのは幸せな人生を送っている証なのかもしれない。
いまでは、自分は空手を通して、彼女は音楽を通して、教育に携わっている。当時、交わることのなかった関係は、20年以上の時を経て再び出会った。
いまは郷里を離れていて、自分のしたいことがある。
彼女も言った。 「ピアノ教室を開くことが夢なの」
中学という、ほんの少しの時間の共有でしかなかったけど、それはいまにつながっていて。そう生きてかなきゃな、なんて刺激をもらっていたりする。
動画を再生すれば、奏でられる音楽で当時を思い出せる。そこには幼いころの自分がいて。
あれから時が過ぎ。少しは大人になれただろうか。少しは周りの人をうまく大切にできるようになっただろうか。
たくさんの人に支えられていまの自分があることを、しっかりと刻んでおきたい。いつか、自分が他の人の支えになれるように。
(追記)
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