CD-ROMを買いに朝から2軒のコンビニに寄ったのですが、どちらにも置いてありませんでした。いまやMDやフロッピーが姿を消して久しいですが、コンビニからはCD-Rも姿を消しているようです。
電子機器が日々進化し、便利になっていく一方で、少し前の形式になるともはや読み込むことすら困難だったりします。その意味で、イエス・キリストの生きた時代から、いまなお形を変えずに残っている「本」ってすごいなとしみじみと思います。
それが手書きであれ、こういったブログのような電子媒体であれ。『書く』ということはとても大事ですよね。
書くことで自分の頭の中を俯瞰し、整理し、ブラッシュアップ・アップデートし。そして他人に伝える。そんなメリットがあるのですが、それゆえに「書く」という頭の中の言語化は難しい。
結局、頭の中や心の中にあることは「言語化」というフェーズを挟んで、話したり、書いたりするわけなのですが、この2つには大きな隔たりがあります。
文字であれば見返したり、時間を置いたりでより適切な表現に微修正を施すことができるのですが、話すということはリアルタイムでのコミュニケーション。そこには環境やタイミング、そのときの感情といったさまざまな外的要因が影響し、必ずしも伝えたいことが正確に伝わるとは限りません。
それゆえの失敗も度々で猛省しきりなのですが、それでも言語化しなければ自分の考えや思いが伝わることはありません。失敗を恐れては何も示せない。だからこそ人の世の中ってのは生き辛いのでしょうね。
■スタッフジャンパー
大学生のころ。コンピュータサイエンスというサークルに所属していました。サークルのスタッフジャンパーというのがあるのですが、そのデザインがインパクトがありました。こんなのです。
一見、PCなので高熱はだめってこどで熱禁なのかと思っていたのですが、それもあるけど「うちは熱血禁止だから」なんて笑いながら先輩に言われたことを覚えています。
伝統が多い学校だったので、そんなのに込めたアンチテーゼもあったのだと思います。
■熱血との私の付き合い方
大人になり社会に出て。この熱血という言葉への私のスタンスには、大学のころの考え方が大きく影響しているのだと気付きました。
学生のころのそれと、社会にでてからのそれには違いがあるように思います。私自身は熱血であることは否定しませんが、だからこそ理想としてもっているのは「冷静な熱さ」。信や芯を通したければこそ、冷静になることが必要だと思っています。
面白いことに火も赤い部分よりも、青い部分の方がエネルギーが高く、温度も高かったりしますよね。熱血だからこそ、より冷静に。それはしっかり自分の中で持っていたいスタンスです。
■言語化するということ
しかしながらどれだけ本人に熱いものがあり、それが燃えたぎっていたとしても、それは言語化しなければ伝わりません。自分の頭の中でさえそうなのですから、自分が共感して広めたいこと。道場の理念なんていうのは、それこそ積極的に言語化していかなければ伝えることができないでしょう。
大げさな話ではなく。むしろ現在進行形で、私は門馬道場にきて人生が一変しました。門馬師範がそうであるように、極真空手によって大きく人生が変わった人間の一人なのです。ともすれば単なる格闘技に終始してしまいかねないフルコンタクト空手。
それがなぜ時代の一世を風靡し、社会現象まで巻き起こしたのか。いまやその歴史を知る人も少なくなってきました。だからこそ、より言語化して後世に伝えなきゃなと思うわけです。
いまはだれしもがスマホをもち、手軽に大量の情報にアクセスできるようになりました。だからこそ情報は玉石混交。「●●のレストランまでのルート」なんて情報は、誰もが手軽に手に入れられるものですが、個々人の頭の中の情報や知識は、言語化して初めて命を吹き込まれるものです。
SNSも普及し、写真や動画などいろんなメディアでお伝えする機会もありますが、それでも。やはり考えをお伝えするには文章が一番だと思っています。いまだこのブログを続けていく所存ですが、ことしは頻度を上げていこうと思います。
lineでのお知らせは控えて、こっそり日々更新していこうと思っています笑
さて、今年もいい1年になるようにみんなで頑張っていきましょう!
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