よく考えてみると、正気の沙汰ではないのかもしれない。
善悪入り乱れる世相は相も変わらずですが、この世界を変えようと思うならば相当の覚悟が必要になることでしょう。桃太郎を読んでいて、そう思いました。
ご存じ桃太郎は、悪事を働く鬼たちを、犬、きじ、さるらと退治して、捕らわれた女性や宝物を取り返して平和をもたらしました。
金銀財宝を取り返しても動物たる犬、きじ、さるらには何らメリットなく、きびだんごのみで見返りなく鬼に向かっていく姿はややリスクだけを負っている気もしますが、それはいったんおいておきましょう。
桃太郎と動物たちの活躍が注目されがちなのですが、私はおじいさんとおばあさんの寄与も大きいと思っているのです。
考えてみてください。みなさんが、いまは川に洗濯にいくことはないにしても、ときおりガンジス川の沐浴の衝動に駆られて、穢れを水に流しにいくことはあるかもしれません。
ときおり社会に疲れたりすると水のせせらぎをひたすら眺めて、その音に癒されることもあるでしょう。まぁ何かしらの用事で川にいたとします。
そこに見たこともないような大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきたとき。川に入って行ってとってこようと思うでしょうか?
私だとしたら、遺伝子組み換えとか考えてしまい、おそらく見送る。ましてや持って帰って、食べてみようとは思いません。
けれど、おばあさんはそれを持ち帰り、おじいさんといっしょに食べようと桃を切ろうとして、桃太郎が生まれました。二人の豪放磊落さこそこが、桃太郎を生んだと言えるかもしれません。
そして、思うに。私たちの生活の中には、意外と桃がどんぶらこどんぶらこと流れているのだと思います。ただあまりにいろんな情報が多く、そして手を伸ばす勇気がなく、見過ごしていることも多いのではないか。そんな風に思いました。
例えば、納会で世界大会入賞者に門馬師範が送ったことば。「雲外蒼天」。この言葉は、将棋で有名な藤井さんが揮毫したことでも知られている言葉です。その藤井さんは、進学高校に通いながら、将棋に没頭するために高校を辞めて中卒となることを決断しています。だからこそ、将棋の世界で上り詰めることができているのでしょう。
身近な例で言えば、齋藤真尚先輩の長男であり元門下生の彪琉くん。在籍していた学校をやめ、芸能活動という道を選びました。
現状を何とか変えたいと思ったとき。勇気を出して手を伸ばさない限り、変わることはありません。
いまの時代はブーカと言われます。これはアメリカの軍事用語からきているのですが、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性の時代だということです。(VUCA: Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity) 経済やビジネス、個人のキャリアに至るまでありとあらゆるものが複雑さを増し、先を見通すことができない時代となりました。
ひと昔前までは「公務員であれば安泰」でしたが、もうすでに状況は一変しています。このような時代においては
”普通”であること自体がリスク
だと言えます。
これまではリスクであった刻々と変わっていく、変化していくことが、ブーカの時代においては求められるようになり、逆に普通、安定であることがリスクとなる時代となってしまったのです。
少なからず、普通から逸脱するにもリスクはあり、それを自ら掴んで突き進んでいく心の強さが求められます。結局のところ、門馬道場の極真空手とその道場の理念がもたらしてくれるものは、これからの時代にも生きる上での力を与えてくれるものなのです。
そんな思いもあり、門馬師範から「うちの会社に来ないか」という話をいただいたときには即断しました。私がリスクを恐れ、”普通”にとどまっていては、道場の存在意義がなくなってしまうからです。門下生には空手のことはもちろんですが、門馬道場である以上、それを通して生き方を示していかなければなりません。
12月より、新しい会社の勤務となり生活が変わりました。いまは自信をもって「勇気を出して手を伸ばして掴んでよかった」。そう言えますが、これから先何年後も同じように言えるように生きていこうと思います。師範が、常にそうして私たちに背中を見せてくれるように。
自分のデスクにて。ちなみに隣の席は師範代でいつもお世話になっています。 |
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