先週の水曜日から施設予約の関係で、水曜日の霞町稽古はNCVふくしまアリーナの柔道場で稽古をしています。
普段は1階の剣道場か体力測定室なのですが、何分、予約競争が熾烈なのでなかなか安定して確保しづらく、場所がかわりがわりでみなさんにはお手数をおかけしております。
さて、このNCVふくしまアリーナ。正式名称は福島市体育館・武道場なのですが、実際に見てみると唸らされることも多くあります。
例えば弓道場。私は弓は触ったこともなく、空手以外の武道は門外漢なのですが、阿波研造先生の写真が飾ってありました。
阿波先生は弓聖と称えられた弓術家で、術(テクニック)としての弓術を否定し、道としての弓を探求する宗教的な要素が強かったと言われています。
なぜ門外漢の私が阿波先生を知っているのかというと、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲル氏の著した『弓と禅』(岩波文庫)を読んだからでした。
禅というと、日本人ですら言葉だけの文理解釈では難解過ぎるものですが、ドイツ人のヘリゲル氏も戸惑ったようで、阿波先生に師事したときのことを本書で綴っています。
一節を引用してみます。
的と私が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある。射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る。
ことのことを如実に表したエピソードが、弓と禅にも記されています。狙わずに的を射る、という阿波先生の教えは合理的な西洋人には到底納得いかないものだったようで、オリゲル氏は「狙わずに的を射るなんていうことは本当にできるのですか?」と疑問をぶつけます。いや、日本人でも理解して納得するのは難しそうな気がしますが(^^;)
そうすると阿波先生は、夜9時に自宅の弓道場へ来るよう指示しました。
約束通りに夜に訪れると、阿波先生は一本の蚊取り線香に火を灯し、的の前に立てました。線香の灯がゆらめくのみで当然、的は見えません。その状態で二本の矢を射りました。
その結果、なんと一本目の矢は的に命中し、二本目の矢は一本目の矢を引き裂いて命中していたことが記されています。手記によれば、見るまでもなく炸裂音で、命中したことがわっかた、と。
このとき、阿波先生はこうおっしゃられたそうです。
「先に当たった甲矢は大したことがない。数十年馴染んでいる垜(あづち)だから、的がどこにあるか知っていたと思うでしょう。しかし、甲矢に当たった乙矢…これをどう考えられますか」
オリゲル氏は、この出来事に感銘を受け、矢を別々に抜くことすらも憚られ、的ごと持って帰ったそうです。それ以降、弓の修行にまい進し、後に五段を習得しています。
岩波文庫なので少し難解ではありますが、空手「道」を志す方には大きなヒントになると思いますし、そうでない方も日本文化としての弓と禅、ひいては武道と禅の関係性を知ることができる名著ですので一読をお勧めします。この話をしたところ、当時、斎藤真尚先輩も「図書館で読みました」と仰っていました。
本で読んだだけですが、そんな弓聖の写真が飾ってあるということは、なんとも新鮮でした。そんな阿波先生ですが、このエピソードの当時は、すでに道としての追求に入っておられる頃ですが、そのきっかけとなったのが嘉納治五郎先生の「柔術から柔道へ」という言葉でした。
ということで少し前振りの余談が長くなりましたが、次は嘉納治五郎先生について、少しつらつらと書きたいと思います。後編へ。
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