劇場版「名探偵コナン 百万ドルの五稜星(みちしるべ)」の公開がひと段落つきました。昨日は各映画館を回り、お礼しながら設置してもらったリーフレットを回収してきました。
シリーズ27作目となる今回は、ストーリー上の原作でもまだ公開されていなかったネタバレを防ぐためにマスコミ試写会すら行わなかった徹底ぶり。
初速33.52億円から、公開一カ月で128億円を突破し、シリーズ歴代1位の規模となりました。
という仕事的な側面はさておき。純粋に私も面白くって好きなんですよね、コナン。そんな中に印象に残っている言葉があります。
とある日。とっさに危機を救った命が、殺人犯。もしあのとき助けなければ、被害者は殺されなかったと思い詰める蘭ちゃん。追い打ちをかけるように「思い(殺すこと)を遂げさせてくれた彼女に感謝」とか言われて、罪悪感に悩まされ泣き顔です。
さらに「どうして俺を助けた?」とか嫌味を言われます。そんなときに工藤君が放った一言。
「人が人を殺す動機なんて知ったこっちゃねーが 人が人を助ける理由に、論理的な思考は存在しねーだろ?」
当時、なるほどなと思いました。
いろんな人の思いがあり、考え方があり、価値観へつながっていく。だからそこに生まれる差異は当たり前のもので、不可避です。自分で自分のことも完全に理解できないほど、人は不完全な生き物です。
どうして、とか、なぜ、とかそんな疑問に答えられるなら幸せな人生でしょう。私は他人が納得できる答えをもっていません。そして、それはみんな同じなのだと。
人に手を差し伸べる。そこになぜ?って聞かれても答えなんて持ち合わせていません。なんで空手や道場のためにそこまで?と言われても、いちいち他人が納得するような論理だてた理由はもっていないんですね。ただただ、自分がやってきたこの道を。
大人になるにつれて何かをするために、その理由を求めるようになります。子供の頃は純粋でしたよね。理解されない宝物が、大人になるにつれて理解されるための建前へ。そんな中だからこそ、このコナンでのセリフに納得したという思い出です。
だから私はこう言います。
自分のために本気になれて半人前。他人のために本気になれて一人前。
人が困っているときや、何かを成したいとき。そこに自分への負担や見返り、利害関係を一考して、論理的に手を差し伸べる人間より。
自分の生き方、信念に従って、さっと手を差し伸べる人間に私はなりたいですね。
それがたとえ、他人からは到底納得されなかったとしても。
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