今はInstagramやTikTok、YoutubeなどのSNSがたくさん使われていて、それに合わせて動画を作ってきました。私自身、Instagramでは帰省のこどもの様子なんかを動画でまとめていて、「みてごらん、これが亡くなったおじいちゃんのアカウントだよ」みたいな感じで、ご先祖さまの生きた形跡が生々しく残る時代がきたりするのかなと、戦々恐々としています。
行事の様子や報告、PRなんかは映像の媒体が一番適していて、現にそれがSNS流行の大半を占めています。
その一方で、映像や写真などのビジュアルで伝えられないものも確かにあります。その一つが、ものの考え方や、価値観、理念、信念などです。
本と読書の価値については筆舌に尽くしがたいところがありますが、私たちが教科書なんかで見る偉人と言われる人たちが、何に悩み、何を考えていたか?というのは、ありがたいことに活字を通して今なお、その足跡をたどることができます。
私の場合、偉人でもなんでもないのですが、それでも道場に通ってくださる門下生とその保護者さまのために、考え方や方針などを示し、共有させていただく場として、このブログを続けているところです。
閑話休題。
先日の土曜日から、福島佐倉道場、霞町道場では冬季審査会への推薦をはじめました。門馬道場の他の道場も、審査に向けて推薦がはじまっているところです。
「なぜあの子が受けられるのに、うちの子は受けられないのですか?」
「昇級審査の明確な基準ってあるんですか?」
という声は直接的や間接的に毎回、触れることになります。いい見方をすれば、門下生の新陳代謝が活発であるということ、裏を返せば私たち指導員がそのあり方、考え方を伝えきれていないという課題でもありますよね。
こういったことは、保護者さまとの懇親会や道場の見学室で聞かれてお伝えすることも多いのでその機会を大事にしていきたいのですが、中には都合で参加が難しい方もいらっしゃいます。
せっかくブログという場があるので、門馬道場指導員としての私の考えをここに残しておくことで、一人でも多くの保護者さまのご理解、ご協力を頂ければ幸いです。
昇級審査って?
そもそも昇級審査って何でしょう?そんなことわかってるよ、と思われるかもしれませんが、少しお付き合いください。
分かりやすく言えば、帯が変われるかどうかの試験です。じゃあ帯の何が変わるのかと言われれば色でして、それが変わると何なのか?という疑問につながっていきます。
帯の色は、上のように変わっていきます。黒帯というと免許皆伝なイメージですが実際は異なり、黒帯からが武道修行の始まりになります。
なので、級のうちは数が9級→8級→7級…と少なくなっていくのに対し、段になると初段→弐段→参段…という風に逆に増えていく形になっていますよ。
つまり帯の色は、強さのランク分けや、できる技術のバロメータなどではなく、空手修行のどの段階にいるか、を示すものになります。
そのどの段階にいるか、を審査してもらうのが昇級審査というわけです。昇段審査の場合は、武道修行の門を開くに相応しいか、というまたちょっと違った視点になりますので、このエントリーでは昇級審査に絞って書きます。その点あらかじめご了承ください。
相対評価と絶対評価
ものごとを評価する形には、乱暴に分けると大きく2つになります。所属する組織や集団内でどのような順位にいるか?という相対評価。例えば難関とされる国家資格などがそうですね。
つぎに、集団内での順位に関わらず個人の能力に応じてそれぞれ評価する絶対評価。車免許の筆記試験などがその例になります。周りの状況に関わらず、基準点さえ超えれば合格!といった形ですよね。
では空手の昇級審査はどうなんですか?と聞かれると、両方ですね。と答えます。相対評価の部分を否定せず、かといって純粋な絶対評価とも言えません。私が「乱暴に分けると」と前置きしたのは、このような評価の形が世の中には数多くあるからです。
例えば相対評価がなじまないのは、お分かりいただけるかと思います。例えば思い切り極端に「8級受審した人の中で上位10名が審査合格!」などとした場合、一般部も受けるわけですから少年部はほぼ昇級できるチャンスはなくなってしまいますよね。
小学校低学年を相手に組手無双する大人が8級に相応しいのかという疑問はさておき、相対評価は上位のみを対象とするハードルの高い評価方法。道場の昇級審査は、そうはなっていません。
もしそうであったならば、一定の年齢を境に、永久に昇級・昇段できない道理になります。
では絶対評価でしょうか?
一部はそれが採用されています。〇級では、腕立て伏せが〇回、帯飛び〇回といった基準がありますね。また前級を取得してから最低〇回以上の稽古といった基準もありますし、黄色帯以上は合宿参加が必須とされている点もそうです。この部分は、純粋な絶対評価と言えます。
審査への推薦は絶対評価?
ここがまさに、私が純粋な絶対評価とは言えないとした理由になります。
先にも見た通り、帯の色が示すのは修行の位置段階です。それは単に腕立て伏せや帯飛び、合宿参加状況の数値だけで示せるものではありません。
保護者のみなさまが例えば、「腕立て伏せを〇回できるようにするために道場に入門させたんだ!」という稀有なケースであればその指標だけで足りるのでしょうが、そのほとんどは礼節を身に付けさせたい、あきらめない強い心を持ってほしい、信頼される人物になってもらいたい…といった動機がほとんではないでしょうか?
武道の目的は、その武道を通して人格の完成を目指すこと。武道としての技量も必要で、これは腕立て伏せや帯飛び、逆立ち歩行はじめ、基本や移動、型、組手などでみることができます。では本来の目的である、人格の完成の方は?
それは普段の稽古への取り組み方であったり、挨拶をはじめとして礼法であったり、後輩への接し方であったり…。多岐に渡って判断するのですが、ここに挙げたものをはじめとするほとんどは、審査会場ではみることができません。そこで、指導員の推薦という形が採られています。
なので広い見方をすれば、指導員の推薦と師範による空手審査が一体となって、昇級審査が行われているのだと考えています。
では指導員の推薦基準は?
そこでよく疑問の声を頂くのが、指導員の推薦への判断基準です。何を基準に推薦しているのかということなのですが、修行歴、稽古頻度、行事・大会への参加状況なども踏まえて判断しますが、ここに大きな要素が含まれます。
それが先ほどの中で示した「XXXXX」という部分です。この点が広範に渡ると共に、指導員の先生の考え方が出てくる要素になります。
平たく言えば…と書こうとしましたが、平たくと一口にまとめられない難しさがあります。門下生一人ひとりをみたときの、判断です。
帯が人を育てるという部分
![]() |
自我自賛ですが、後輩を教えるのがうまい先輩たちがたくさんいる道場です。 |
結び
誰もが客観的にかつ納得できる形となるならば、解釈の余地はありません。だれが読んでも明確に意味がくみ取れる基準。
0 件のコメント:
コメントを投稿