お米の高騰が話題になっています。なんでも仲介業者や卸業者が買い占めていて、市場に行き届かないのだとか。おかげで米の値段が、だいぶ高まっているようです。
需要と供給の均衡する点で価格が決まる、というのは経済学でも鉄板なのですが、生きていくための食糧の価格っては、それがとても分かりやすいですよね。買占めで言えば、コロナが流行しだしたときのマスクの高騰も記憶に新しいですね。
モノの価値、というのは、そのときの環境によっても大きく左右されます。形あるものは、それでも分かりやすいのですが、私たちが一番迷うのは「形がないものの価値」ですよね。
身近なところで言えば、車両や生命などの保険。万が一大病にかかってしまったり、人をけがさせてしまったときの金額。なんてあやふやすぎて、提示されている金額が正しいのかどうかも判断がつきかねます。
同じように、門馬道場の空手や、その他習い事の月謝もそうでしょうか。その先生が、長年の修行で研鑽し、積み上げてきたものを教えてもらう。その金額がいくらです、となっていても、価値を見出しているひとにとっては安いと感じるでしょうし、そうでない人にとっては高い、と感じるかもしれません。
少し話は変わりますが、最近、経済がひっくり返りかねない事態が起きたニュースをご存じでしょうか。
中国のオープンソースAI「DeepSeek」がリリースされたことです。こちら完全無料で利用できながら、chatGPTの有料最上級版と遜色ない機能を利用できるようなっています。なぜそんなことが可能なのかというと、簡単に言えば、独自の技術でchatGPTよりもかなり圧縮されたコストで開発ができたためです。
いまAI開発の競争が過熱していますが、ある意味でその恩恵ともいえるように私たちは用途に応じてAIを利用することができます。
IT技術は進化を続けてきていましたが、AIの進歩とのシナジーによって、「情報の価値」は急速に陳腐化していきました。いまは情報を獲得することに価値はなくなってしまったのです。いま最も注目されているのは、その情報をどう活用するのか?という点です。
例えばスマホがAIを搭載するようになっていますが、だからといって人間が勉強することが不要になるでしょうか?
どうせAIが計算してくれるし、アイデアの提案もしてくれる。だからもう勉強なんて必要ない。
と思うのであれば、AIに主導権を握られているってことですよね。
AIに問いかける条件は適切であったか、回答は実現可能なものか、それはもっとよりよくできるものではないか、など、結局、AIをどう使うかで最終的な形は大きく変わってきます。
もっといえば、とても素晴らしいアイデアをAIから得たとしても、その実現にたどり着くまでには大きな人間の力がどうしても必要になるのです。忙しいけれどやる。批判をたくさんもらった、でもやる。なかなか上司が納得してくれない、でも説得してやる。
むしろAIでいろんな人が情報を集めたり、アイデアを得られるようになるこれからの時代こそ、いわゆる「人間力」がより重要になることは間違いありません。
いまはAIボイスチェンジャーが、登場しています。誰でもELTの持田香織さんの声になるマイクや、岸田総理のAIボイスメーカーなどはニュースでご覧になった方も多いのではないでしょうか?
へぇー…と流すこともできます。が、これからはこういうとこに疑問を持つことも必要です。例えば、こちらは著名人の音声ですが、この技術がもっと進化するとどうでしょう。例えば、お年寄りを狙ったオレオレ詐欺など、自分の子供とおんなじ声で電話がかかってきたら?もしくは有名人から電話がかかってきたとしたら?
新しい技術の登場と同時に、それを悪用する人も生まれます。となるとこの先、とある一定の分野ではAIも規制がかかるでしょう。
亡くなった方の写真をAIで自然に動くようにする、なんて動画も見かけますが、プライバシーや倫理の関係から、やはり一定の配慮や規制は必要になると思います。それを見越して、いまからどう活用できるのか、を考えていかなければなりません。
そのときに先を読む力であったり、他の人の気持ちに配慮する力であったり、AIのアイデアを何倍にも膨らませることができる発想力は、これからもっと需要が高まることでしょう。そして、最後まであきらめない心っていうのも、絶対にこれからも必要です。
とここで最初の話に戻ります。形のないものの価値は、分かりにくい。では、この「あきらめない心」の価値っていくらなんでしょう?それは今の月謝では、高すぎるものなのでしょうか?
人によって答えはさまざまでしょうし、正解も私には分かりません。ただ少なくとも。私が20数年やっているこのいまが、私にとっての答えなのではないでしょうか。
時代を貫いて大事だとされるものは、これから先も変わらない。だから一生をかけて、やる価値がある。その何もかもを、金銭というものさしだけで測っては、見えるものも見えやしないかもしんないなって思いました。
道場では昨日、冬季昇級審査会が開催され、道場の門下生200名がまた一歩、修行の道を進みました。
今は亡きAppleの生みの親、スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチは、今なお語り継がれる名演説です。
将来を予想して、点(知識や経験)と点をつなぐことはできない。後々の人生で振り返ったときにしか、点と点をつなぐことはできない。だから今やっていることが、将来、必ず点と点でつながると信じて取り組みなさい。
一度きりしかない人生を、他人からみて常識的に過ごしたって何を得られるでしょうか。役に立つからやる、よりも役立てるような人生を歩んでく。その方がいろんな可能性がひろがるのだと。私はそう思います。
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