2025年12月24日水曜日

 「黒」の作り方


 だいたいにおいて、基礎はつまらないものだと感じます。基礎だから当たり前といえば当たり前なのですが、興味をもった部分とその根幹を成す基礎の部分には大きな隔たりがあることが普通です。
 興味というか仕事というかですが、広報関係で「デザイン」を勉強したときのことです。デザインというとフォントとかレイアウトとか、なんかこうおしゃれなイメージじゃないでしょうか。

 私もそれを楽しみにしていたのですがあけてびっくり。最初に勉強しないといけなかったのは「色」について。

 デザインに携われば基礎として大事です。だって表示するテキストですら「色」を伴うわけなので、色についての理解がなければ何もできないのです。ちなみにこのブログの文字は、真っ黒ではなく、ほんの少しだけ白を混ぜることによって目に優しくなじむようにしています。

 それはさておき。なんだかときおり印刷関係で見かける色んな色の丸い図を眺めることから始まりました。「色相環」と言います。




 小難しいことは割愛しますが、例えばこの円に従って。例えば、赤なら正反対側に位置する色を「補色」といい、文字通り映える組み合わせとなります。

 これを見て「おや?」と思う方もいるかもしれません。そう、黒がないのです。

 黒色はこの色相環の中で言えば、中心に位置します。正反対の位置が補色と言いましたが、この補色同士を混ぜると黒が出来上がります。黒といっても色んな黒がありますので、要はいろんな色が混ざっており成すのが黒ということです。

 「黒」は何色にも染まらない。
 裁判官が法廷で着用する法服は、この厳格な中立性の気風を示していることは有名で、空手の黒帯も「何ものにも染まらない自己(芯)の確立」といったような意味合いがあります。

 法服に関しては門外漢なのでわかりませんが、私自身は空手の帯の『黒』は、「何ものにも染まらない」。もう一歩正確に言えば「色んな色が交じり合って至った黒だから、何ものにも染まらない」と考えています。


 白帯から修行が始まりますが、最初は何色にも染まる。あるいは、どんな色も吸収して映すことができるのが白。どちらになるかを決めるのは、心の修行です。


 道着の白にももちろん意味があります。神道的な意味合いからすると、穢れの無い、純潔を示します。神前に出る前の禊で、白い服を身にまとうことにもよく表れていますよね。これは、常に謙虚で曇りなく道に向き合うという意味です。
 仏教的な意味合いから見れば、白は「死」の意味があります。死に装束の白であったり、浄土への旅支度というお遍路さんはだからこそ白の法衣を着用します。空手においては、決死の覚悟で、人生を賭して修行に励む。その意味になります。


 ということで、いきなりポンと黒というものができるのではなく、色んな色が入り混じっていって、やがて黒に至る。

 だから私たちの道場はいいと思うわけです。いろんな色が溢れていますから。空手だけを一途に頑張っている人、仕事としっかり両立している人、何かのスポーツと両方頑張っている人…。きっと自分が目標にしたい色の人がいますからね。


 昨日は佐倉道場の稽古納め、千本突きと大掃除でした。みんなに配るお菓子を買っていったのですが、なんと道場卒業生のK平先輩がお菓子の差し入れを持ってきてくれました。K平先輩は演武のときも、暑い中で披露したみんなのために冷たい飲み物の差し入れをしてくれました。

 またクリスマスカップでは、Y愛先輩のお母さまからなんと参加者みんなにケーキのプレゼントを頂きました。

 こうして道場を見守ってくださる保護者さまや、卒業しても後輩を思ってくれる先輩にとても感謝しています。ありがとうございます。

 今年もあと少しですね。みんなに支えられている道場、来年もしっかりと支えていけるように頑張りたいと思います。







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