課金というのは、その名のとおり、お金を課すこと。資本主義というのは、早い話が札束でのシバキ合いですから、課金は重要です。いまはアイドルのオーディションも課金、ゲームも課金。世のなか、課金だらけです。
私が幼いころ、ファミリーコンピュータが発売され、ものごころついたころに「スーパーファミコン」が発売されました。当時、ソフトが9,800円程度。小学生がねだるには結構なお値段のものでした。
いまはソーシャルゲームなどで言えば、ダウンロードも遊ぶのもタダ。「強くなりたければお金払って装備そろえてね」という料金体制のものが主流です。そしてそれはえげつないほどの格差をゲーム内に生み出します。
私も2つほどのソーシャルゲームをスマホに突っ込んでいるのですが、非常に興味深い。課金せずにはいられない世界が広がっているんです。値段の設定。装備やキャラクターをランダムで購入する、いわゆるガチャ。それに必要な有料アイテム。人の物欲を巧みに刺激してお金を引き出す冷酷無慈悲な計算式で尽くされています。1年間トータルで数万突っ込んでしまった私を誰が攻められるでしょう。
ソーシャルゲームに限らず、色んなゲームにも積極的に取り組んでいます。モンスターハンターシリーズは、通勤中の時間を惜しんで電車のなかでモンスターと格闘してまいりました。プレイ時間は数百時間に及びます。
本当はインターネットの中でオープンワールド展開しているモンスターハンターワールドにも手を出したいのですが、廃人になりそうなので自戒しています。ソーシャルゲームにしてもポータブルゲームにしても、多大な時間を割いてしまうんです。
「お金をドブに捨てる」
といいますが、時間までをも浪費しないだけ、ゲームに突っ込むよりも実際にドブに捨てたほうが時間を有効活用できるだけ建設的かもしれません。
ゲームの中でバロメータが上昇する、ルックスが変る、レベルがあがる、取得金額も増える。私のソーシャルゲームの某キャラは、2千5百万もの大金を所持するちょっとしたプチ富豪ですが、いくら所持してようが現実のコンビニではチロルチョコ1個すら購入できません。
私の考え方に影響を大きく与えてくれた1冊に、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(以下、USJ)の元CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)森岡毅氏の『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか』という本があります。
テーマパークでなくとも、例えば道場経営でも家業を継ぐでも、経営に関わるひとならばぜひ読んでおいて損はない1冊です。いまは文庫版もありますので、700円程度でまず自分ではできないような経験や知識を得られるので買わない手はありません。
森岡さんは瀕死状態のUSJをV字回復させるだけでなく、ディズニーリゾートに迫るところまでパークを成長させたカリスマ的マーケターです。そして、森岡さん自身もモンスターハンターの数百時間プレイや、漫画「ワンピース」を全巻購入して読破するなど、課金に躊躇しないひとでもあります。
「なんでこんなに人はお金を突っ込むんだろう?」と思ったら、それを実際に自分でもやってみるのが一番理解につながるということなんです。体験によって、なぜ面白いのか、なぜ課金するまではまるのか、それらを身をもって知ることができます。
気付いたときには貯金とかおこづかいが雲散霧消しているんですけれども、それは仕方がありません。そういう風にできているのがエンターテイメントなのですから。
でも、「楽しかった」だけで終わってしまうのは本当にムダ。それこそドブに実際に投げたほうがいくぶんマシ。そこには人を楽しませるあるいは、人が魅力や価値を感じるための工夫がたくさんあるはず。課金してまで知りたかったのはそこの部分。なぜなら私もまた、課金させたい人間ですから。
みんなスマホは最新機種に買い替えたり、システムをアップデートします。ゲームやアイドルには課金し、車も大きかったり燃費がいいものだったり、カスタムしたり。
会社には必要なものが3つあります。「ヒト、カネ、モノ」です。”時間”という有限な資源もモノに含まれます。さて、この3つの中で最も大事なのはどれでしょう?
じつは「ヒト」なんです。なぜならヒトだけが、ヒト、カネ、モノの3つを扱い、コントロールできます。私も天邪鬼なので、カネと答えてこの答えを知ったとき
「優秀な人材はカネで雇うんだから、やっぱカネが一番大事じゃん」
と思いました。でもそれは、いまあるお金を人件費として投資することを決定する「ヒト」がいて、さらに優秀な人材やその配置を見定める「ヒト」がいてはじめて実現できること。やっぱり一番大事なのはヒトなんです。
お金が増えてもモノの性能がよくなっても、それを扱うヒトがそれなりならば、そ豊富な資源も最大限に生かすことができません。だから「ヒト」に、まず課金(投資)する。
それは企業にかぎらず個人でも同じです。いま風に言えば、いかに自分自身に課金させるか、それを重要と思ってもらえるか。武道教育が提供できるものっていうのは、極端に言えばそういう見方をされます。
日本の伝統文化、礼法、コミュニケーション能力、危険の察知、和を尊ぶ心、優しさ、健全な身体。人生を豊かに生きていくためのいろんな要素を、武道教育は提供できます。
課金ではなく月謝という形ですが、これらは無料の学校だけでは身に付きにくい能力です。お金をかけ、時間をかけ、努力という名の時間をかけた人だけが手に入れられる。その生きていくための知恵を私たちは「教養」と呼びます。
仮想通貨も株式投資も簡単に裏切るし、弱いものは食い物にされるだけ。けれど「自分」という投資先だけは絶対に裏切りません。そう考えると、実態のない電子データに過ぎないゲームにお金をかけるよりも、自分自身にかけたくなります。
いまはゲームに課金することはなくなりましたが、いくら課金しても元の会社が儲からなくなればサービスは終了します。お金も土地も、形あるものは必ずなくなる。もしくは悪意のある誰かに奪われます。
けれど自分自身への課金は相変わらずです。
本を買って読むのもそう、アウトプットのためのペンやノートにこだわるのもそう。道着も本も万年筆も誰かに盗まれたり、紛失する可能性はありますが、そこで得た知識、考え方、あきらめない心、礼儀作法などは、絶対に誰にも奪われることはありません。形なき財産なのです。
オリンピックを控えて空手が盛り上がっているいま。あえて競技化を否定したり逆行することもありません。でも空手の持つこのような文化的な、教養的な側面も捉えてもらえると、指導員としてこれほど嬉しいことはありません。
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