惜しくも入賞には手が届きませんでしたが、違う団体での大会。特にユウア先輩は、一般部クラスでの出場ということで大きな経験になったと思います。
ずっと挑戦を諦めない2人ですが、その姿は、あとに続く後輩たちの「道標」になってくれると確信しています。
おつかれさまでした!!
ちなみにこのブログのタイトル「空、導なき道へ」は、「しるべなきみちへ」と読みます。中国の明時代に成立したと言われる古典神怪小説を漫画化した作品があり、そのなかの一節からとらせていただきました。
よく空手の段級位が例えられる話があります。色帯の間は準備運動、黒帯をとってから、すなわち初段になってからが本当の修行のはじまりだ、と。
極真空手の初段取得のひとつの目安は「千日修行」とされています。これは極真の名前の由来でもある「千日を以て初心とし、万日をもって極みとす」からきています。つまり千日修行して、初段の黒帯をとったらそこが初心でほんとうのはじまりということです。長いですね。そもそも道というくらいですから、そりゃあ長いか。
色帯の間は準備運動ですので、あちこちに道標があります。この基本を覚えたらこの移動、この移動を覚えたらこの型。この型を覚えたら次の型…。
それもこれも初段になって、武道の修行をはじめたら道標(導)はなくなります。手さぐりで、すべて自分でみつけながら進んでいくしかありません。
門馬師範のブログから引用したいと思います。師範代、井上先生、柊太先生、統河先生が昇段審査を受けた際の記事ですね。
門馬師範ブログ 思考伝聞
(2015.02.26『昇段審査会』(リンク)より)
… 『一意専心』、 そこに至るまでの努力や、色々なものを犠牲にしながらも一つのことにかける想い、その道のりが大切であり、本当の『武』の世界に入る『門』をくぐれる『覚悟』を有しているか、そこのところを最終的に判断して合否を決めたいと思う。
師範が仰る、門をくぐった先に長く長くつづく武の道。そこには何の助けも手掛かりも、導(しるべ)はありません。先人たちが通ってきた足跡だけがあるです。その道を一歩一歩踏みしめながら歩いていく。自分なりの歩幅で。
導なき道へ、というのは、「そのような武の道を目指すひとたちに向けて何かしらのヒントにでもなれば」という思いでつけました。
いま、いろいろとブログのドレスアップや微調整などなど工事中です。硬い記事ばかりでなく、ときどき空手から離れた(だけどどこかつながってるような気がする)ほのぼのな記事も書いていきたいと思います。
というわけで次回予告→「ファインディング ニモで死にかけた」
ぜんぜんほのぼのとしていない。
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