2019年9月2日月曜日

私的な覚え書き「子どもの成長」

 今回、息子の武(たける)が、初めての遠征に臨みました。試合の様子の動画をいただきましたのでご覧ください。





 そうなんです。初めての遠征で勝った!とかではなく、むしろあっという間に負けてしまいました。
 思えば、自分たち夫婦の間に生まれてきたことで、自然の流れでよちよち歩きの頃からミットを触り、おむつを履いたまま道着になって帯を結び…。必要以上に辛い思いをさせている部分もあると思います。

 こちらの詳細については、菜穂子先生のブログに譲りたいと思います。

 門馬智幸師範との約束 (みなみ風の武道日記)


 大会の決勝戦は、道場の先輩や保護者さんたちと観戦していました。そのとき、他道場のお父さんが息子さんに、「なんで泣いたんだ?泣いてるだろ?」と、カメラに収めた我が子の泣き顔を見せながら強く叱責していました。それも何十分にも及ぶ叱責。他は他なので静観を決め込んでいましたが、
 「いい加減、殴るぞお前」
 という言葉を聞いた途端に、抑えきれなくなってしまいました。


 頑張った子供に対してそんな言葉を使わない方がいいことや、場所が決勝コートのところでしたので、周囲の人も巻き込み不愉快である事を伝え、泣いて立ち尽くしていた子供にも「だいじょうぶ?」と声をかけてしまいました。
 「すみません。でもこれがうちのやり方なんで」
 といい放つお父さんに絶句してしまいました。


 出過ぎた真似をしてしまったのは、自分の至らなさです。でも私は、こういう状況で子どもが空手を嫌いになってほしくないのです。
 そのお父さんが指導員の方なのかはわかりませんが、指導員であろうがなかろうが、場をわきまえてほしかった。またもし、自身が空手の修行を積んでいないのであれば、たくさんの試合をみてきた【だけ】、わかってる【つもり】になってほしくないとも思いました。


 どんなに試合を見て来ても、初めて出会った人が、全力で突いてくる・蹴ってくる。その試合の開始線に立つ恐怖は知らないわけですから。


 試合の結果は、勝った、と負けた、の2つしかありません。けれどもこの間には無数のステップがあり、その中には心の成長のように目に見えないものも多分に含まれます。
 門馬道場の指導員としては、この試合、息子が勝った側であったとしても、挨拶をしなかったとしたら強く叱ります。泣いてでてきた息子にも、試合会場に向かって挨拶をさせています。



 怖い中、いや実際は、怖いも何もわからないまま開始線にたって、組手に臨んでいるであろう息子。その息子を見たときに、負けたことで叱るなんてことは考えてもいませんでした。むしろ慰めたい気持ちが後ろ髪を引いたのですが、ほかの門下生の応援に回るために、泣きじゃくる息子を置いてあとにしました。


 これは親ばかの記録のような気もしますが、保護者のみなさまそれぞれも同じだと思います。やっぱり自分の子どもは特別で、それは何からくる感情なのかというと、普段の頑張りや取り組み、そして悔しがる姿を知っているからです。

 試合の結果からは勝った、負けたしか読み取れませんが、たとえ負けただけの試合だとしても。先の動画のようなほんの数秒の中にでさえ、当事者、保護者さん、普段の稽古を見ている指導員にしかわからないドラマが含まれているのです。



 大会中、スマホが鳴りました。別の会場で大会に臨んでいる門下生のユウアからでした。彼女は中学のときから、なかなか入賞できずにいました。稽古はずっと頑張っています。師範の稽古に出向き、佐倉の稽古も決して休まず、受験のときでさえ、遠征の挑戦を続けていました。けれども勝てない、入賞できない。そんな状況がずっと続いていたのです。


本人に掲載許可を頂きました。

 ずっと見守っていて、悩んでいるのを知っていて、それでも挑戦する姿を見ていて。うれしい報告に対して出てきたことばは「おお!!おめでとう!!」というボキャブラリーが貧弱過ぎるメッセージですが、その中には万感の思いが込められています。ほんとうによくがんばった。


 それは今回の決勝まで勝ち上がったという成績に対して、というよりも、ここに来るまで決してあきらめなかったことに対してです。
 そして離れていて、遠くにいる私にもすぐに報告してくれたことで彼女のうれしさが伝わって、こちらまで嬉しくなったのです。


 いま門馬道場の第一線で活躍している選手も、華々しく見えるでしょう。けれども一つの入賞の影に数十の負け、入賞できなかった経験があることはなかなか知られません。みんな結果の方にだけ着目してしまうのですが、その結果のためにどれほどくやしい思いをしてきたのか。


 頑張ることで必ず報われるなら、なんて楽な世の中だろう。そのような世界であれば、辞書に「努力」の文字はないでしょう。

 私は必ず努力は報われると信じている一方で、いつ報われるときが来るのかは誰にもわからないとも思っています。実際には心の方が先に折れることが圧倒的に多いし、むしろ、その前の「努力」の領域にすら踏み込めない人の方が多数。


 そして結果を追い求めた結果、いろんな子供の成長に気付くことができず、武道の本質を知らないままに空手から離れていく。空手を続けてきて、その価値を信じている私達からすれば、これほどもったいないことはありません。

 空手であれ、人生であれ、負けられない戦いというのは必ず訪れます。そのときまでに、負けるという経験を積んでおくことを否定する理由は、私には見出せません。



 負けたら空手はそこで終わるのか?
 違うだろ。もっと武道が持つ、道場が背負っている武の理想はもっと高いはずだ。
 目の前の勝ち負けくらいでおたおたするな。

 空手道は字のごとく人生に一本通った道。それを一歩一歩踏みしめていく。
 自分なりの歩幅で。
 大会もその一歩だから、ありのままで戦えばいい。
 そして、勝っても負けても。それを明日につなげばいい。


 そんな言葉が言えるのも、身近で見守れる保護者のみなさまや指導員だけです。
 ぜひ、修行に励むこどもたちを、長い目で見守ってほしいと思います。





国際空手道連盟 極真会館
(社)世界総極真
NPO法人 極真カラテ 門馬道場
師 範  門馬智幸
指導員  山名愼一郎




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