2019年9月6日金曜日

『子どもとあと何回クリスマスを過ごせるか?』_門馬智幸師範から学んだ武道教育

唐突ですが、このブログを読んでくださっている方に質問です。

あなたはあと何回、子どもと(もしくは両親と)クリスマスを過ごせますか?

 


子どもはやがて一人で生きていかないといけない

痛ましいニュースが流れました。事件を知らない方のために記事から概要を引用します。

22日午後7時35分ごろ、高知県南国市の男性から「息子が帰ってこない」と県警に通報があった。高知東署は、南国市立稲生小学校2年の岡林優空君(7)=同市稲生=が川で遊んでいて溺れた可能性があるとみて捜索している。
 同署によると、岡林君は同日午後1時ごろから、小学2~5年の友人と計5人で、自宅近くの高知市内の下田川の浅瀬で遊んでいたとみられる。同署が行方を捜したところ、川岸で岡林君のものとみられるサンダルと本が見つかった。
 友人4人は午後4~5時ごろ、岡林君が溺れるところを目撃しており、「ラッコ泳ぎをしていたら、沈んでいった」と話しているという。
時事ドットコムニュース 2019.8.23 より


 この事件について、優空くんのお父さんは、Twitter上で「いじめの被害にあったのではないか」との疑念を抱き、警察の捜査結果を受けて、不審な点を挙げています。とはいえ、私にはこの事件がいじめの結果かなのかどうか判断することはできません。しかし、考えさせられることも多かった。


 非情な言い方になってしまいますが、結局、いじめであれ事故であれ、自分の身は自分で守らなければなりません。子を思う親の気持ちは誰しも一緒で、守ってあげたい。けれどもその「守る」の言葉には色んな意味があります。


 仕事をしてばりばり稼いで、子どもに成長できる環境を与えることも「守る」。害悪な環境から遠ざけてあげるという意味での「守る」。いじめや暴力に対して、子の代わりに矢面に立つ「守る」。


 ですが私たち親は、常に子どものそばにいて守ってあげることができません。仕事をしに行かなければならない、家事で家庭の環境を保たなければならない。極端に言えば、何かしらの事情がない限り、私たち親は子どもよりも先にこの世を去る運命にあります。


 これは、やがて子どもが自分だけで地に足をついて生きていかねばならない時が、必ずやってくるということです。いつかはわからないけど、必ず。


門馬智幸師範の提唱する「武道教育」

武道教育というのは「突く・蹴る」という空手を教えることじゃない。

門馬師範はそう仰いました。

 もちろん極真空手道場ですので、突く・蹴るという技術を教えます。でもそれは手段であって、目的ではありません。
 突く、蹴るという技の応酬を通して痛みと出会い、そこから「守る」ということの大事さを知ることができます。


 突く、蹴るという格闘技が目的ならば、道場の掃除はいらず、月謝は銀行口座から引き落とし、道場訓の唱和や訓話も必要ありません。そのような時間を、スパーリングやミット打ちにでも充てた方が効率的です。ではなぜ道場ではそうしないのか?


 それはいろんなニュースを見ていてもよくわかります。政治の世界は、つまり権力の応酬です。中には二世議員などといって、親や親族の地盤を受け継いで権力を借りている人もいます。でもそれはかまいません。
 ただ、虎の威を借りるならば、権力の振りかざし方も十分に学んでほしいと思うことも少なくありません。


 私たちは、空手の技術を伝えると共に、それが「単なる暴力」に堕ちてしまわないよう、その「使いかた」も教えなければなりません。使い方を決めるのは、その人自身の心です。

 でも言葉の耳ざわりはよく、崇高過ぎるきらいのあるこの理念は、そうたやすく体得も実現もできるものではありません。だから、その根幹となる「あきらめない心」を第一に掲げて、NPOとして活動しています。


親の役割り

いじめや暴力の危険にさらされる度に、親が出て最前線で活躍する。それも守り方の一つではあります。しかし、それでは自分の身を守る力を子どもは獲得できません。
 そして私たちは、この世から子どもよりも先に去り、置き去りにしなければならない宿命を背負っています。つまり、いずれはどんなに守ってあげたくても守れなくなってしまう時が訪れます。

 ならば私たちの役割りは、いつまでもこどもについて守ってあげることではなく、自分が居なくなっても力強く「生きていく力」を教育によって与えてあげることではないでしょうか。

 もうお分かりかと思いますが、武道教育の目的は「生きていく力」を身に付けることで、そのための手段としてあきらめない心をもって空手を修行しているのです。


あと何回クリスマスを過ごせますか?

ケーキに顔を明るくし、プレゼントで笑顔になっている子ども。けれど成長すれば、やがて家族よりも、友人、恋人と過ごすようになります。これはUSJのクリスマスシーズンのCMで使われていたキャッチフレーズなのですが、うまいなと思いました。


 いっしょに過ごせる時間には限りがある。そのことを私たちは忘れがちです。


 子どもが生まれたときは誰しもが喜びに包まれています。しかし裏返せば、残酷なようですが、いっしょにいられる時間が尽きるまでのカウントダウンのスタートです。可愛がりながらも、自分たちがたとえいなくても生きていけるように。教育によって知性と、個性。そして生きていく強さを育んであげなければなりません。



 門馬智幸師範の提言する「武道教育」。それは、ここであれこれ説明するにはスペースが狭すぎます。ほんとに最初から最後まで語れば、本1冊軽く超える文量になりますし、誰も読み通してくれないでしょう(^^;)


 この記事では武道教育の目的について、書きました。少しずつですが、武道教育にうちて伝えていければと思います。

 さて、あなたはあとどれだけ、子どもと過ごせますか?
 そして、その限られた時間で何をしてあげられるでしょう。

 その答えは道場にあると、私は確信しています。








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