2021年2月3日水曜日

『AIvs教科書が読めない子どもたち』

もし、我が子をいわゆる「人生の負け組」というものにしたくないと思うのなら、このブログを最後まで読んでください。


タイトルにもなっている、本書。AIの議論が喧しい昨今。私は、あんまりSFものは読まないのですが、それでもAIを取り扱った話はメディアにあふれています。「人工知能」という意味でいえば、鉄腕アトムやドラえもんも、AIの範疇です。

そして、やがて人工知能が知能の果てに自我をもち、邪魔で非効率的な人間を排除していく。なんて話は使い古された型ですが、それでも世間では「消える職業ランキング」といったAIにとってかわられる仕事をはじめ、経済への影響や軍事への介入など不安をあおる内容も少なくありません。


本書は日本の数学者であり、AI研究者でもある新井紀子氏が、AI開発の最前線を分かりやすく解説してくれています。詳細は本書で読んでもらいたいですが、ここでは簡潔にまとめます。


曰く、現段階での人工知能はプログラムに過ぎない。それは、突き詰めれば計算、四則演算しかできないことを意味する。AIが自我をもつには、自我というものが数式で記述されなければならない。それは数学という学問の限界を超えているため、現段階でそれが実現される可能性はない。


なるほど。私たちが抱いているAIのイメージとはだいぶ違うようですね。かといって安心というわけではなく、「仕事がAIにとってかわられることは否定できない」としています。実際医療の現場でも、レントゲンをはじめとする読影技術は、医者よりもAIの方が向いていると言われています。大量の事例を読み込み、専門医ですら、なぜAIが異常と判断したのかわからない写真から実際に病変が見つかる事例も多い。さらにAIならば休憩もいらないし、集中力が途切れることもない、などのメリットがあるようです。

記憶、計算の分野ではどうがんばったってAIに勝てるはずがありません。そうなると、実際に人間の仕事は奪われてしまうような気もします。


ところが、新井氏は言うのです。「(現在AIとされているのものには)ぜったいできないことがある」と。

それが「文章を読む」ということ。新井氏は「東ロボくん」の愛称で知られるAIプロジェクトを率いています。その名のとおり、東大合格できる頭脳をもった人工知能の開発を目指しているプロジェクトです。その目的は、東大に合格することではなく、その研究を通してAIの限界を見極めることにあるのだそう。


そこで思うでしょう。AIって文章読めないんじゃなかったの?と。


そうなのです。AIは画像で文字を認識し、文字の組み合わせと出てくる頻度などから統計的手法を用いて計算して回答を導き出しているのだそうです。つまり、厳密な意味で人間のように読むことはできない。それは、人間の「文章を読む」という行動ですら、まだ解明されていないからなのです。


身もふたもない言い方をすれば、AIの得意なことで勝負すれば勝てないのだから、仕事もとって代わられることでしょう。淘汰といってもいいかもしれません。

でも何も難しいことはありません。それならば私達は、「AIができないこと」を磨いていけばいいだけなのです。つまり「読む力」を磨く。読むというのは文章だけでなく、あらゆるものを読む力のことです。


例えば、法律という厳格に決められたものをあてはめる、弁護士や裁判官といった仕事もAIに代わられそうにも思えます。ですが、人の心や感情を読むという工程があるため、絶対にAIには置き換えられません。争いをお互いの譲歩で落としどころをつけたり、心情を加味して解釈や量刑を適用することはAIには不可能だからです。


その意味において、武道が育んでくれるものもまた、ぜったいにAIには侵されない領域にあることがわかります。AIは痛さも苦しさも、そして悔しさもわからない。だから優しくなれることもありません。そんな素養をもってすれば、AIには代替されない人材になれることは明白の理であると私は思っています。

AIは、スキルの選択を迫ったとしても、スキルそのものの存在意義を否定しない。


文章を読む、ということは、そのまま世界と視野を広げてくれる。だから本を読まない人は、本当にもったいないと思うのです。そして、本を読まない人ほど、自分の頭で考える力が衰えていき、マスコミのあおりに流されて右往左往するしかなくなってしまいます。

実際、本ほどコスパのいい投資はないように思います。たった数千円で、自分の人生とは無縁の世界を追体験できますし、この世にはすでにいない偉人の考えに触れることができます。

最近読んだ本の中にこんな一節がありました。

「俺たちが手にすることができる知識の多くは、かつて誰かが悩み、取り組んだ問題解決の成れ果てだ」

だから、読書がもたらしてくれるものはとても大きい。

本を読めない、それらの知識を吸収したり、背景や人の心情が読めない、ということは、これから四則演算を得意とするAIが進出してくる社会において致命的なことは、本書を通すまでもなくお分かりいただけるかと思います。


とはいえ、これを読んでいるみなさんまたはお子さんは心配ありません。空手がありますし、それはAIが太刀打ちできない領域ですから。

 でも、その空手からどれだけ多くのものを学べるか、そして自分の血肉にできるか、は修行する門下生自身にかかっています。だからこそ、私はより、豊かな武道修行の助けとなるために、今回、門馬師範が上梓された本を薦めているのです。


 「昇級審査を受けたい?」と聞くと、ほとんどの門下生が「受けたい」と答えます。帯が上がる嬉しさは私もよくわかるのですが、それはまた修行が進んで、先輩としての一歩をさらに歩んだ証でもあります。

 門馬道場の先輩になりたいのならば、極真空手の技術はもとより、師範がどのような考えで空手を修行してきたか、それを指導してきたか。そして自分たちが稽古している子の道場が、どうやってできたのか。それを知らないままで、先輩として後輩を指導できるはずがありません。

 またお子さんを預けている保護者のみなさんにも、道場の理念を理解していただくことで、より道場とのコミュニケーションが円滑になり、盛り上がり、そしてこどもたちの空手の環境がよくなっていきます。

 道場を託児所として扱っているだけで終わっていいのだろうか。私はもっと道場のことを理解して、利用にとどまらず活用してほしい。教育の一環として。私はそんな思いです。


みんなが学んでいる門馬道場の空手は、格闘技でなく、生き抜くための財産だ。

人生の負け組っていうのは。

勝ち負けが、学歴の偏差値や単に収入の多い少ないのような、数値で表せる程度のものならば幸せな人生だろうなと思います。私は、自分の頭で物事を考え、判断する「考動力」をもっているか、それを基に、逆境にくじけずに人生を歩んでいける強さをもっているか、だと思っています。


それを師範のこの本から学び取ってほしい。そう、切に願います。



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