便利な時代になったもので、以前は新聞の番組表片手にテレビの前で鎮座するか、もしくは録画しないと目当ての番組を観れませんでした。
それがいまでは手元のスマホとwifi環境でオンデマンド放送。好きな時に好きな番組をテレビで再生できます。
おかげで新しく始まった鬼滅の刃も、子供の生活時間で見せてあげることができるようになりました。
演武をひかえ、いろんなアニメを観ているのですが、個性が強いですね。この鬼滅の刃も第二期は物議を醸しました。
なぜなら「遊郭編」だから。
どういった理由で週末の23時から放送という枠に移ったかはわかりませんが、アニメが決まった際に「子供に遊郭をどう説明したらいいんだ」とか「女性蔑視で不適切」みたいなコメントが流れました。はてさて、本当にそうだろうか。
一つ目はデフォルメ化。子供に、「僕はどうやって生まれたの?」なんて聞かれたときには河で釣ったとか橋の下で拾ったとか、なんとでもメルヘンみたいな答えを出してあげられます。コウノトリが運んでくるんだったか。
何も細部を事細かく伝える必要もなく、大人の息抜き場とかそんな伝え方でもいいのですよね。
そしてもう一点が、知識と視野。そもそも「遊郭」というといまでいう風俗店みたいなイメージでしょうか。そういった一面があることも否めませんが、風俗史の中で見れば、孤児院、職業訓練所、結婚相談所の役割も担っていました。社会の中では重要な役割を担っていたのです。
娯楽の場でありながら、文化の発信地でもあった遊郭。上級の芸娼は太夫や花魁などと呼ばれ、富裕な町人や武家・公家を客としたため、芸事に秀で、文学などの教養が必要とされたらしく。スマホばかりをみて活字を大量に読めなくなった現代人よりも、文化的だったかもしれません。
もちろん、きらびやかな世界の裏には闇がつきまといます。遊郭も決して華やかなだけの世界ではありません。その性道徳観に女性蔑視のきらいがあったことも否めません。
けれども、私たちの歴史そのものが、過ちを教訓として発展してきました。漫画の神様といわれる手塚治虫の作品でさえ、いまの道徳観からすれば差別にあたる、と削除されたストーリーも少なくありません。
正しい知識と広い視野があれば、子供に成長具合に合わせた教え方ができるのですし、それによって世界は広がります。知識は世界の見え方の解像度を上げる。
ほんとうかどうかはさておきなのですが、いわゆる幼稚園のお受験のグループ面接にてこんなことがあったそうです。
「我が家では教育の方針としてクレヨンしんちゃんを見せていません。子どもはNHKの子供向けの教養番組や、ドキュメンタリーが好きで、そういう番組をよく見ています。」
クレヨンしんちゃんは、言葉使いや下品なだじゃれなどで、あまり教育的によろしくないというイメージをもたれがちなアニメ(原作は漫画)です。
その答えを聞いた、次の家族のお母さんはこう答えたそうです。
「うちではクレヨンしんちゃんも好きに観させています。ただ、フィクションはフィクション。作り物の話であることと、それと実際の生活では違うことも教えているので教育上、問題はありません」
イメージや偏見で子供の可能性を狭めることは簡単ですが…。子供の年齢や発達具合にあわせて適切に教えることができる。これって教育にはとても大事なものかもしれませんね。
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