2018年2月26日月曜日

昇級審査とお手伝いの意味

 昨日、2月25日(日)郡山カルチャーパークにて冬季昇級審査会が開催されました。受審した皆さん、おつかれさまでした。また次の大会、次の審査に向けて頑張って行きましょう。

 ところで昇級審査に来るのは受ける人ばかりではありません。黒帯の先生たちはもちろんですが、少年部の組手の相手やヘッドガードの装着、整列の手伝い、受審者の体調管理など、たくさんの人たちの協力があって行われています。そういったお手伝いの人たちの存在はとても大きいです。昨日の審査会では福島から茶帯8名、緑帯4名のお手伝いが来てくれました。少し離れた地域にも関わらず、こうして手伝いに来てくれること、そしてそれをご理解くださり、ご協力いただける保護者さまがいることをとても嬉しく思います。

 しかし、県内のごく一部では、このお手伝いが曲解され、ともすれば「茶帯になるための条件(ノルマ)の一つ」と思われているフシがあるようですので、指導員、ひいては私の考えは明確にしておこうかと思います。

 昔話はよく親に絵本で読んでもらいましたが、その中には「恩返し」というものがありました。つるの恩返しだったり、舌切りスズメの話であったり、勧善懲悪のなかに、この恩返しというものも含まれていました。浦島太郎だけは未だに理不尽な結末だと思ったり、竜宮城でどんちゃん騒ぎしたにも関わらず約束を破った報いだと思ったり不思議な感じですよね。ところが大学でちょっと違った価値観に出会うことになります。

 高校のときは、なんちゃって進学校という雰囲気も手伝い、アルバイトをしている人はごくごく僅かでしたが、大学に入学すると大勢の人がバイトをしています。サークルに入るとよく先輩からご飯や飲み会と連れていってもらいました。大学1年のころは連れて行ってもらうばかりでお金も出さず、2年生で自分の分だけ、3年生で自分の分プラス後輩分というような形です。とはいえ2年のときも3年のときも、OBや他サークルの先輩にかわいがっていただいて、いろんなところに連れていってもらいました。
 もちろん申し訳なくなり、何とか恩を返そうと思ったのですが、それを喜んで受け取る先輩は誰もいませんでした。言葉はみんな同じ。「返さなくていいから、その分、後輩にあげてくれ」。


 以前、稽古終りの訓話で「恩回し」の話をしました。恩を返すのではなく、回す。
 いま中・上級の帯を締めている門下生は、少なくとも数回の昇級審査や地区大会、チャレンジカップなどを経験していると思います。そのどれもが、先輩たちの協力があってこそできたものばかりです。ではその恩は、協力してくれた師範はじめ指導員、先輩に返さなくてはならないでしょうか?
 そうではありません。先輩に返す必要はなく、先輩たちの方もそれを望んでいません。返さなくていいからその分、ありがたいと思ったのならば。同じことをこれから入門してくる後輩たちに伝えてほしいのです。


 「奉仕の心」とは、もし私たちが「恩を返しなさい。そうしなければならない」という意味で使ったのならば、武道特有の上下関係を盾にした、門下生を好き勝手に使うための耳触りのいい大義名分に成り下がってしまいます。言葉を使う人の人格、品格によっては、その絶対の上下関係から時として、言葉が不毛な働きをしてしまいます。そのため、上級の人にはその言動、立ち居振る舞いがいかに重いものなのかを自覚して、つとめなければなりません。まだまだ私自身も未熟すぎて凹むことの方が多いですけれども!


 恩は、私たちに返す必要はありません。自分たちがそうであったように、受けた恩を後輩たちに回してほしい。そうすることで私たちが修行している極真空手が受け継がれていく流れが出来上がっていきます。私たちが育んで欲しいと願っている奉仕の心とは、「師範や先生に対する奉仕の心」ではなく「極真空手ひいては道場に対する奉仕の心」なのです。

 その奉仕の心をもっていること、年齢に応じて育まれていることが上級の条件の一つであり、そのために「審査会などのお手伝いを」と言っているのに過ぎません。昇級の条件の一つが、行事の手伝い。という見方は、私たち指導員の思いからすれば狭いものの見方になってしまいます。手伝いの先に私たちが求めているものを、子供たちにも伝えていかなければなりません。


 しかしそういった思いが全く伝わらず、例えば極端に「茶帯を取りたかったら手伝いに来なさい」といった捉え方だけをされてしまえば、それはノルマの一つとして数えられるに過ぎません。それでは意味がなく、私含めた伝える側、指導員がどう門下生に伝えていくのかが課題の一つでしょう。


 そんな捉え方だけが広がってしまえば、結果、茶帯なり黒帯を取得してしまえばもうノルマは達成されたので手伝いに来ない。想いを伝えられなかった門下生が増えればそのような状況になりますし、そうなってはやがて立ち行かなくなる行事も出てくることでしょう。それは道場の衰退に他なりません。ここで明確にしておき、それを伝える努力を怠らないよう精進していきたいと思います。


 ところで、こういったことは学校の教科書には載っていません。学校教育が教えるものは、崇高な理念のもとに編纂された教育指導要領と教科書に掲載されていることだけです。そこではカバーしきれない「人間力」、「考動力」というものは武道教育が担っていると確信しています。

 突き、蹴りだけにとどまらず、それを通して教科書に載っていないさまざまなことを教えられる。そういう武道教育の理念のもとに指導できることに大きな可能性を感じます。それだけに、常に自分を見直して模索していかなければならない責任もあります。それと向き合いながら頑張っていきますので、どうぞ今後とも変わりぬご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。


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