流しそうめんといえば、おもちゃでエキサイティングなコースの流しそうめん機がありまして、それをAmazonで購入しようとしていたら「福島に流しそうめんできるところあるよ」と教えてもらったのがきっかけでした。
吾妻庵というところで、佐原の山奥にあります。汗が熱烈にまとわりついてくる時期なのですが、ここだけは夏でも何かを羽織らないと肌寒いくらいにマイナスイオンがほとばしっています。
1年間のうち、もっともそうめんを摂取する日になっており、ラムネや山菜の天ぷらがふるまわれ、そうめんに舌鼓を打ちます。
そして有志による門馬道場内「そうめん以外のものを流す会」(事前に許可取得)によって、そうめん以外のものが流れてくると門下生のテンションも最高潮へ。上流から下流へ向かって熾烈な争奪戦がはじまります。小さい門下生には直接あげちゃったりも笑
流れるそうめんを眺めていると、心が癒されると同時にいろんな思いが湧いてきました。
そうめんは当たり前ですが、意思を持ちません。ただ打たれ、茹でられ、流されて、はしですくわれ、消化されていく。
でも人間は違います。打たれれば反撃するし、茹でられるなんて断固拒否、ときに周りに流されちゃったりもするけどいろんな周りのひとに救われて生きています。
ただ流されてるだけなんてありえない。ここからだ。もっと、この有意義な武道教育を福島市に広めて根付かせていく。
単なるそうめんで終わってなるものか。
そしてたぶん、この瞬間は日本で一番流しそうめんに思いを馳せた男になっていたことでしょう。
そしてたぶん、この瞬間は日本で一番流しそうめんに思いを馳せた男になっていたことでしょう。
笑顔の子供達をみているとほほえましいですね。総裁が亡くなってから、今も極真空手が一大流派として現存しているのは、こういう子供達に受け継がれていくからです。
100年後は誰も生きていない。でも生きてきた軌跡はこうして後の世代に受け継がれていきます。いろいろと気を引き締めなければ。
そうめんが終わって締めたら、息子が魚釣りをせがんできたのでしばし釣りに。
夕飯は釣って持ち帰ったマスの塩焼きになりました。美味しかったです。
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