2019年8月9日金曜日

辞世の句2

先の記事では、婚約したけれどもついに結婚が叶わずこの世を去ることになってしまった穴澤大尉の遺書を紹介しました。智恵子さんへの愛があふれたそれは、遺書でもありラブレターでもありました。




 せっかくの機会ついでにもう一つ、思わず唸ってしまう美しい遺書をご紹介しようと。というよりも、遺書について紹介したら、これに触れずにはおけないでしょう!おそらく日本で一番有名な遺書!厨二病のみんなが大好き!
藤村操の辞世の句『巖頭之感』です。

『巌頭之感』

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。

ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。

萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。

我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。


GTO(講談社)のコミックスで一躍有名になったこの辞世の句。当時の文語調のことばなので、やっぱり難しい。ということでこちらも口語に直してみます。


雄大な空と大地 はるばるした古今
いま、五尺の小さな体でその大きさを実感する
ホレーショの哲学に権威なんてあるものか
万物の真相を表すのはただ一言 それは「不可解」。

この恨みを胸に抱き苦しみ、ついに死を決意した
すでに滝の上に立っているが、胸の中には何の不安もない。
初めて知ることができた
大いなる悲観は、大いなる楽観と同じだということを。


 ちなみにこの自殺、夏目漱石に宿題をやってこないことで叱責された直後のことだったらしく、少なからず漱石も悩んだことでしょう。有名な作品『吾輩は猫である』には「打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない」と操のことを指した記述があります。


 作者の藤村操はこれを残した当時、17歳。北海道から東京へ移ってからは、開成中学から一年飛び級で京北中学に編入。のちに第一高等学校(現東京大学教養学部および千葉大学医学部、同薬学部)で夏目漱石から英語を習うなど、もうとにかくエリートだったのです。

 当時はエリートになっての立身出世こそ美徳とされていた社会でしたので、エリート学生の悲観主義による自殺は大きなショックを与えました。自殺を図ったものは185名にのぼり(うち既遂40名)で、自殺の名所としても有名になってしまったのです。


 もちろん、いまの30代半ばという年齢からみれば、青臭い観念で死んでしまったようにも思います。でも自分が同じ17歳のころ。世の中のことに対して何かを考え、感じていたか。
 自分が17歳の頃といったら、、、、。。。。。(^^;)


 世の中は決して平等なんかではありません。だからこそ、平等という名がつけられ、あちこちでそれを実現しようと取り組みがなされています。操の言う不可解や理不尽に、世の中はあふれています。けれど、それを嘆いていても世界が変わることはありません。いつまでたっても姿や形を変えながら、不平等や不可解にあふれていることでしょう。



 何が正しいか、何が正しくないか。何が正義か、何が悪か。
 そんなことは誰にも分りません。ここで自分は神だと自称する人が出てきて、その人からの教示があったとしても。千思万考し、それが正しいかそうではないかは自分で決める。でもそのためには、自分だけの軸、価値観が絶対に必要になります。



 目の前で食べ物を盗む、無職っぽいやせたお父さんみたいな人がいたとします。

○犯罪は絶対に悪だからボコってでも捕まえて警察や店に突き出す。

○ろくに食べていないんだろう、盗みは犯罪だけれども飢えたこどもがいるのかもしれない。見て見ぬふりしておこう。


 どっちも人間味に欠けるように思え、どっちの言い分もわかるし、どっちも悪くないように思えます。どちらが正解なのでしょうか?

 どちらが正しいと思うかは、考えの起点になる部分(「犯罪は絶対だめ」、「犯罪を犯す理由も考えないと」)の違いです。スタートが違うと、そこから導かれる行動もまったく異なったものになってしまいます。


 このすべての考えの起点となるのが人間性、価値観などです。そして武道が目指す人格の完成というのは、この部分を充実させて優しい、和を尊ぶ人間を目指しましょう、ということになります。前提部分、根っこが充実していれば、そこから発する行動もおのずと人間味あふれたものになることでしょう。


 「この世は平等だし、努力は報われるから頑張りなさい」という教育も、「この世は理不尽だし、努力だってそうそう報われない。だからこそ、あきらめないで強く生きなさい」という教育も、どちらも間違いではありません。

 ただ、そのどちらにも、子供自身の「軸」、「信念」があることが前提です。これを育くむのは学校教育、義務教育の範疇ではありません。これこそ、宗教教育のない日本で道徳を育んだ武士道、すなわち武道教育であると確信しています。それをより実践できる道場にしていきたいものです。


 さて、遺書の話は今回でおしまいです。


 ちなみに、「実は藤村操は生きていて、パリに渡って悟りを開ていた」みたいなパンチのきいた本が満を持して刊行されましたが、無政府主義な内容だったために即発禁となりました。日本では現在3冊しか確認されておらず、神田の古本祭りに出品されたときには150万の値がついたとか。


 きょうは8月9日、長崎原爆投下の日です。
 生きることの意味なんて考えても難しいし分らない。でも死ぬことについて考えてみれば生きることの姿が見えてくるかもしれない。そう思い、広島と長崎の日に、遺書について書いてみました。


 さぁ、明日は千本突き!また頑張っていきましょう!
 少しでも実り多き人生になりますように!







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