その中で、リアルな東大志望者を間近で見ていたので「じゃあ俺も…」とは全くならなかった
と書きましたが、それは弟のことでした。
ドラゴン桜は、落ちこぼれの龍山高校で、暴走族上がりの中卒弁護士が「東大受験専門コース」を新設し、超進学校への転換で再建を目指すというストーリーの漫画です。
学歴社会の現実、学ぶことの大切さ、勉強の方法などが詰め込まれており、「東大なんて簡単だ」とその入試の構造を解き明かすところから物語は始まります。
無料で公開されているのでそれは読んでいただくとして(https://note.com/mitanorifusa/n/n434b28927f27)、当時、漫画に影響された即席東大受験生を多く生み出し、話題になりました。
(阿部寛さんでドラマ化も)
ところがリアルな志望者を見てるととても簡単なんて思えない。どう考えても頭が飛んでるかはずれてる人しか行けそうに思えない。
「頭はとてもいいのに、バカ」
そうとしか言いようがないのです。エピソードに事欠かないので勝手にいくつか書いていこうと思います。
ちなみに現在は、同じ会社の本社で働いていおり、黒帯として指導しながら空手も続けています。
■弟も筆記具マニア?
私は事務職ということもあり万年筆やペンなど仕事に使う道具にはこだわる派なのですが、早くから勉強に取り掛かっていた弟もそれは同じ。
しかし、何かベクトルが違う。高校生くらいのときか。文具店で「羽根ペンはありませんか?」と尋ねる弟。
おい、羽根ペンってあれだろ。ハリーポッターがホグワーツに入学するときに買い揃えてたアレ(当時ハリーポッターは未発表)。
文具店の回答は
「取り扱ってる店舗はみたことありません。…あ!結婚式場に卸す業者さんが取り扱ってるみたいです!」
■喧嘩による学校処分
私とは3歳差なので、受験がかぶる弟。
青雲中学(長崎)合格→私が高校受験に失敗し、私立確定。それにより中学進学をブロック。
ラ・サール高校(鹿児島)合格→私が県外私大に確定し、高校進学をブロック。地元公立へ。
と、華々しい人生の門出の船旅に出ようとするたびに、ことごとく私がブロック。そんな逆境でもグレずにいたのですが、突如、高校で喧嘩沙汰(当時の極真といえば、、ということもあり)。
しかし当人は「喧嘩に空手は使ってない」と主張。トンファと呼ばれる武器で完膚なきまでに殴打した模様。
習ってはいなかったものの、トンファも空手の一技術です。というか通学カバンになんでトンファ入ってんの?
よって空手不使用の主張は退けられ、停学が濃厚となり本人は大歓喜。
しかし、ここぞとばかりに学校側が相手方の非を考慮して、喧嘩問題を精査。
結果、二週間くらいあいさつ運動しながら校門掃除という寛大過ぎる処置がとられ、そうとう頭に来ていました。
■東大模試A判定の実力
私のようななんちゃって進学校ではなく、ガチな進学校ともなると、「進研模試」とか「河合模試」というあやふやな模試でなく、「東大模試」「京大模試」といった狙い撃ちです。
東大模試でA判定をとったときのこと。
「早慶くらいなら片目瞑っても受かる」
と強気の発言。
、、、、? 片目瞑ってもハンデにならなくない?
■解いててわからないときの対処法
大学時代、英語の試験を控えて勉強中。分からなくて途方に暮れて、アドバイスを求めて弟に電話。
「勉強してて分からなくて途方に暮れたときはどうすればいい?受験の時どうしてた?」
「怒って問題を破ってくしゃくしゃに丸めて地面に叩きつけてた」
解決しませんでした。
■『カラマーゾフの兄弟』の感想
カラマーゾフといえば長い上に難解で、何度でも放り出す本の定番です。それを読み通した弟。すごいな、お前、、、。
「どうだった?」
「隙あらば神について語ってきて、危うく入信するかと思った」
もう何かに取り憑かれてんだろ、、、。
■東大リベンジ
一浪の末、万感の思いで東大にリベンジしに行った弟。
一張羅のコートを着込んで、東大へ。
ところがこの一張羅というのが、もう花嫁と言わんばかりの純白のコート。受験へと先導する人と間違えられ、受験生が弟の元に集合。
「俺は予備校の講師じゃねえ!」
■就職活動時の一言
大学院進学を目指すも、「メタ経済学」というニッチ過ぎる領域の研究を志望し、「指導できる教官がいない」と、就職活動を余儀なくされた弟。
準備をしていて臨むものたちに比べ、嫌々ながらのスタートでなかなか最終まで行き着けない。そんな時にお酒が入った帰り道で叫んだ本音の一言。
「純粋に学歴だけで俺を見てくれ!」
笑った。
と、人様にはとても後悔できないエピソードを省いても、事欠きません。
ここまで書いておいてなんですが、結局、東大合格は叶いませんでした。だから思うんです、そんな簡単にいくもんじゃない、と。
最後くらいは、ほんとにすごいなと思ったエピソードを書いておきます。
■不合格のあと
一浪の後、東大不合格発表時。
当時は東大も京大も後期試験がなく、次に狙えるのが一橋大学でした。とはいえ、一橋も偏差値67.5の難関。しかも、考えてもいなかった学校です。
不合格で落胆しながらも、後期試験の出願をしなければなりません。低過ぎるテンションで、予備校のページから一橋の過去問を表示する弟。
問題はたった2行ほど。
えんぴつを片手にそこらへんのチラシを掴み、裏紙に走らせる。紙面はみるみる計算式で埋まっていく。やがてえんぴつが止まり、マウスを持つ。表示されたのは回答例。
画面を睨み、数秒後くらいだったか。
「この程度なら勉強しなくてもいけるか」
東京へ向かう必要があったため、両親から付き添いを頼まれました。しかし日程は、私の卒業旅行と丸被り。だったのですが、やっぱりそこは弟を選んでしまいました。
兄弟なのでいろんな思い出がありますが、二人で道着ぶら下げて通った道は、故郷でいまも変わらず。
時を経て場所が隔たれ、生活環境はお互い違う。そんな中でも人生を通して取り組める空手は、今も私らをつないでくれているのです。
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