子どもの将来を案じて施してくれる「親の教育」は、大変素晴らしいもので、それはいまさら疑問を挟む余地がない。
変わりゆく時代情勢の中。
判断が未熟な子どもに代わって、生き抜くために必要なスキルを選び、教育という形で与えてくれる。
ただ残念なことに、一つだけ致命的な欠陥を孕んでいることも事実。
その欠陥とは、「親がいなくなってからしか、その教育の価値、ありがたさに気付けない」ということだ。
いままでの自分を振り返ってみると、実にさまざまな教育を受けさせてもらってきた。水泳だけは、幸いにも活躍するような災害には見舞われていないが、公文式や書道などは、「やっててよかった」と思う場面が少なくない。けれど、それと同時に多少の後悔の念もある。
ヤマハ音楽教室で、ピアノを習っていた。実は、女性プロゴルファーとして賞金王などに輝き、現在も活躍している上田桃子選手とは親同士も仲が良く、一緒にピアノを学んでいた。
とはいえ、ぶっちゃけピアノに行きつく前のエレクトーンで挫折して辞めてしまった。期間にして2年ほどだっただろうか。
書道にしても、幼いころ「じっとしてしゃべらずに筆で書く」ということが苦痛で、小学校高学年でやめてしまった。書道・硬筆ともに二段までとっていたが、もっぱら墨の準備や片付けがめんどうで、硬筆(えんぴつ)ばかりやっていたように思う。
はやい話が、どの習い事にもとても大きな価値があったのに、中途半端で辞めてしまった。その価値を見出せるほど、成長しきれていなかったのだ。
社会人として生きる今、人前でのサインやメモを残すとき、添え状を書くときなど、字が汚いと恥ずかしい。音楽も教養として大事だし、公文で鍛えられる頭の回転は、遅ければ遅いほど仕事で相手にされなくなる。
どのスキル(技術)も、時代や価値観などによって左右されない、大事なものばかりだったと気づいたのは、社会に出てからのことだ。
少子高齢化の今、いわゆる学歴社会は既に崩壊して久しい。
けれどもそれは学歴の不要を意味するのでなく、「学歴だけでは通用しなくなった」社会状態になっていることを指す。いまだ知識とそれを習得するための積極的姿勢と努力を表す「偏差値」というものさしの重要性は健在だ。
(もちろん、偏差値というものさしが全てではなく、そんなものさしで測れない器の人も存在する。けれどもそれはかなり極端な例であるので、ここではあくまで一般論として留めたい。)
小学校3年生の頃。某大手進学塾の入塾テストを受けさせられ、そのまま入塾した。週に3日の授業に、毎週日曜日はテストがあった。そしてその点数により順位が貼りだされ、常に成績によってクラス分けされた。
当時は勉強させられる理由も、しなきゃならない理由もわからないまま。結果としては、またしても大変に中途半端な結果となってしまったけれど、一つだけわかったことがある。
音楽にせよ、勉強にせよ。習わせられるというのは、機会を掴んだに過ぎない。そこからそのスキルをものにできるかどうかは、本人の努力によるほかない。そして、その本人の努力は、そこに価値観を見出しているか否かによる、ということだ。
私は「3つのC」と呼んでいるが、Chanceを逃さず捕まえること、捕まえたChanceにあきらめずにChallengeすること。それではじめてChange、自分を変えることができるのだと思う。
当時の私はあまりに未熟過ぎて、かなり無理をして塾に行かせてもらったにもかかわらず、その価値を理解できなかった。
おそらく、あの段階で本当に頭のよかった生徒たちは、人生における学歴の重要性を理解し、それを得るための唯一の手段である勉強の必要性を理解していたんだろう。
私は授業を受けることが精いっぱいだったが、学ぶことの贅沢さを理解していた人たちは、授業を基に家庭で勉強していた。それでは差がつくのも当然のことだと思う。
勉強に価値を見つけられなかった私は、空手にやりがいを見出して、それからのめりこんでいった。気づけば30も中盤を過ぎようとしている。
幸いだったのは、「空手」という生き方のスキルそのものが、他のスキルを得るための根幹を成していることだ。
道場にはいろんな人が集まる。学生から同業者や異業者、そして社会的立場でも私なんかよりも活躍している方がたくさんいらっしゃる。
学ぶ上でこのような刺激的な環境はない。門馬師範がよく「道場は究極の異業種交流の場だ」と仰るが、その価値がわかるまでも数年を要したように思う。
そして「生きるための前向きな活力」を生み出すのも、また空手だ。空手の技術だけでなく、交流を通していろんな社会を学ぶことができる。
何より、極真空手そのものも、一生かけても極められないほど奥が深い。
AIが進化し、いくらかの業種はAIにとってかわられるとの論調が強い。
たしかにいくらかの業種は淘汰されることになるだろう。けれども、「どのスキルを習得するのか」というスキルの選択をAIは迫ったとしても、スキルそのものの存在を否定しない。
AIが絶対に踏み込めない領域が、空手には多分にある。そしてそれは、生きるためにも大きな手助けとなるに違いないものと確信している。
受験などを機に道場を離れる門下生も多い。なんともったいないことか。
採用等の選考に携わってふと気づいたことがある。
応募してくる9割以上の人が「過去に頑張ったこと」しかPRできないということ。
部長をやっていました、○○大会に出場しました、○○部を立ち上げました。
既に過ぎ去ってしまったPRなんて、霞んでしまって印象にも残らないことだと覚えておいた方がいい。
「いまも、空手を頑張っています」
なんて言うことができる、この瞬間を全力で生きている人の前では。
本当に大事なものは、いまなお読み継がれる古典のように、時代や情勢、価値観の変動に左右されることなく、ただ真理として貫く。
だから言いたい。
私たちが伝えたい門馬道場の「極真空手」もその一つ。
その自負があるから、仕事やいろんなことで忙しくても、心魂尽くして打ち込めるのだと。
まだまだ先に続く道は長い。やっぱり人間は弱いから、一人でも多くの仲間を作って。一緒にこの道を歩き続けたいと思う。
もっと!!わくわくするようなことをどんどんやっていく!
コロナ禍が大変ならば、それを利用するくらいの視点で。楽しみにしていください。だから、たくさん仲間を増やしていきましょう(^^)
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福島県の極真空手なら!
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【福島佐倉道場】 火・土 19:00~20:30
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福島市佐倉下上谷地39-1
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国際空手道連盟極真会館
世界総極真
NPO法人極真カラテ 門馬道場
師 範 門馬 智幸
指導員 山名慎一郎
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