2020年8月6日木曜日

価値と判断、その基準

「ゲーム理論」

これほど少年部が聞いたら目を輝かせて興味を持ちそうな名前もないでしょう。

かつて20歳かそこらだった私も、大学のシラバスで見つけたときには、心躍りました。


市場や自然界において複数主体が関わる意思決定問題や行動の相互依存…みたいな内容。


つまりマリオでさえルイージとマリオがカートに乗って覇を競ったりしているので、協力してカメの甲羅ぶつけたり、スターで嫌がらせの如く無敵スキンシップを求めていくとかそんな感じのあれだろう。



履修を終え、指定されたテキストを購入する。そして初めての講義で開かれました。

そこにはなんと、数式数式数式数式



経済学は文系の学部だと思い込んで入ったが最後。自由自在な方向から、偏微分やら数列やらベクトル、確率でブン殴られる分野です。ゲーム理論でもそうでした。私の求めていたピーチ姫はおろか、マリオの姿すらありません。


代わりにいたのはΣや∮。単位のためにこんな苦痛を強いる分野を生み出した御仁を、タイムマシンに乗って時空を超えながら殴打したくなりました。まさしく「時をかける俺」。


だいたい、ナッシュ均衡ってなんだ。
ナッシュって、ストIIのベガに殺されたガイルの友人だろ。

白眼を剥いたのも無理はありません。


中学校の公民でも、経済は習います。需要と供給が交わるところで価格が決まる。インフレ、デフレ、国債。

そんなイメージのまま学部に入ると、早くも留年がコンニチワな状態になってしまうんですね。

「みなさんの3人に一人は留年します」


学部長が入学前の懇談会ではなった一言ですが、それが小粋なジョークなどではなかったことを実感する瞬間です。


大概においてテキストは英語だったり翻訳だったりするのでパンで例えられたり、ポンド、シリング、マルクという単位だったりでイメージが難しいです。日本なんだから米俵一俵3円5銭とかにしてほしかった。


と盛大な脱線はこれくらいにして本題に入りたいと思います。

経済学というのは価値を最大化、言い方を変えれば効率よく利益で潤う方法や環境を模索していくものなのですが、この価値というのが、また勉強にありがちなまわりくどい考え方をするのです。




おにぎりとダイヤモンドがあるとき。どちらか好きな方をとっていいよ、と言われたら、大概の人はダイヤモンドを選ぶと思います。


一般的におにぎりより、ダイヤモンドの方が価値があると考えられているからです。
なぜかというと、ダイヤモンド一個があれば、唸るほどの量のおにぎりと交換できるからです。


交換価値といいますが、いろんなものをその都度、交換する量を決めているとめんどくさいことこの上ない。そこで、共通の「お金」というものを通して、みんな物々交換しているのがいまの社会。



ところが、ものには交換価値のほかに使用価値という別の顔があります。


おにぎりかダイヤモンドか選べ。


普通の時なら迷わずダイヤモンドです。ですが、吹雪いて出られなくなった山奥のロッジで同じことを聞かれたらどうでしょうか?


環境や状況によって大きく変わるのが使用価値の特徴です。このような状況で聞かれたのであれば、今度はほとんどの人がおにぎりを選ぶかと思います。


私たちが判断するときは、原則、価値を比べます。価値というのは、そのものに対する評価と言ってもいいでしょう。そして、その評価は環境や状況によって大きく変わるものでもあるのです。



いまは未曾有の災禍のさなか。

三密を避け、人となるだけ接触しないことがよし、とされています。そんな環境の中、稽古や行事を欠席することを誰が責められるでしょう。誰も責められません。


そしてまた、それと同じように。


このような状況の中でも稽古や行事に参加してくれた門下生を「頑張ってるんだな」と大きく評価することを誰が責めるでしょうか?誰も責められません。



大会が相次いで中止になり、馴染んだ行事が姿を変えていく。それは、寂しいことなのだけれどもいまだけのことかもしれない。


天変地異が現実となってしまったいまの世界。誰も正解なんてわからないし、そんなものがあるかどうかも分からない。


ただ、いま。みんなが右を見ているこのいま。
何かでみんなと逆の左を向くことができたら強いと思う。

なにも考えず、ただ流されているだけでは、自然淘汰は免れない。いまだからこそ、行動することに意味がある。そしてそれは大きな武器になる。


これから私たちは全く新しい世界の中で、全く新しい判断や決断を迫られていくとこでしょう。


あきらめない心

それが単なるスローガンやお題目でないことを示す、絶好の機会でもあります。その確かな価値を形にしていくのは誰なのか。他でもありません。

誰も正解がわからないこの「いま」を生きている、門下生の私たちなのです。



逆境でこそ、真価を発揮する。それが門馬道場の掲げる「武道教育」が、門下生に育んできた「あきらめない心」だったはず。


まずは指導員たる私たちから。
変化を恐れず、生き抜くために今後も全く新しいことにも取り組んでいきます。


どうかご理解、ご協力のほど。そして、ついてきてくださいということをお願いしたいと思います。


とりいそぎの更新にて。


山名








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