2020年10月4日日曜日

逆境と弱さについて

YouTubeを見ていて、思わず最後まで観てしまったのは英語学習についての広告だった。


日本人に競争力を持たせないために戦後から英語教育をアメリカがコントロールしている。だから、日本人の英語習得率は先進国の中でも著しく低い。

そんな陰謀論もあると紹介していたが、そんな滑稽な話が出てくるほど日本の英語教育は遅れているということだ。

そしてその広告の売りは、「ある一つの英文法を覚えるだけで英語でコミュニケーションできるようになる」というものだった。

得られるものに対して支払う努力や対価が、拍子抜けであればあるほど、私たちは警戒してしまう。だまされているのではないか、と。


ところで、ここ最近。芸能人の自死についての報道が目立っている。そして、何が死にまで追い詰めたのかを問題提起し、コロナ禍による先行きの不安さ、経済停滞に伴う社会の閉塞感などが取り沙汰される。


芸能人の自死にしろ、いじめを苦にしての自死にしろ、ワイドショーなどの言説では「自殺=弱い(あるいは弱っていた)」という見えない前提があるようだ。

その論理で言うならば、「生きているわたしたちは強い」ということになる。命題が真ならば、その待遇は常に真となる。にもかかわらず、わたしにはこれが正しいようには思えない。

少なくともわたしは、「死ぬ勇気がないから死なない」だけで、「強いから生きているのだ」と胸を張れるわけではない。死を受け入れていったひとたちからすれば、わたしたちもまた「死ぬ勇気のない弱い人」と言えるのではないだろうか。


わたしは、強さの証明のために死ね、というのではない。また自ら死を選ぶことが正解なのだと言うつもりもない。
自死しても生きていても、人間は弱い生き物なのだと。だからこそ人間は、強さに憧れ、強さを求める。

もし、本当に生きているわたしたちは強いと思って、そう自覚しているのなら。強さに価値はないし、だれも憧れず、求めもしない。


でも、世界ではそうではない。誰しもが強さに憧れ、強さを求める。わたしたちの道場も例外ではない。


門馬道場では、武道教育によって、あきらめないこころを育むことで、生き抜くための強さを身につけることを目的としている。

ではその方法は?

先に冒頭で挙げた、英語学習法のように簡単に身につくなどとは、とても言えない。


週に何回稽古をしても、時間がかかります。辛いです。苦しいです。でも保護者の皆さまも、子どもを支えて空手を続けさせてください。


そう、等身大の現実を伝えるほかない。得れるものが大きいほど、その代価も大きくなる。そしてその辛さを、私たちは知っている。だからこそ、身につくのだと、私は思う。


逆境に負けない心をつくるのだから、逆境を理由に道場から離れては元も子もない。そう指導しなければならないのだからわたし自身も一刻も早く退院し、道場に足を運びたい。

当分、満足に足を動かすこともできないだろう。練習はできない。でも、稽古はできる。見取り稽古なんて何回説明してきたことか。自分が実践しないでどうする。

そう言い聞かせながら、病床にいる。


道場から離れれば余計に弱くなり、心はもっと弱体化していってしまう。だから、道場にいないと不安なのだ。わたしもまた弱いのだから。


みんなでがんばりましょう。道場はそのための場所です。


そうそう、最後に一言だけ付け加えなきゃいけませんでした。


強さを求めて入門した、入門させた保護者のみなさまへ。


週に何回稽古をしても、時間がかかります。辛いです。苦しいです。でも保護者の皆さまも、子どもを支えて空手を続けさせてください。

かならず強くなれる道場ですから。

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