情報は、誰にでも理解できるようになった瞬間に、その価値を失う。
E=MC^2という物理学の方程式が世界を変えたことは有名だが、
「r>g」
たったこれだけの不等式が世間を賑わせたことは記憶に新しい。
「投資」ということばを聞くと、どこか胡散臭く感じてしまうのは無理もないことで、世間では詐欺に使われることも多い。それは、成功して巨万の富を得ている人が現にいる一方、その仕組みは複雑怪奇で、ほとんどの人が理解できないというブラックボックス的な魅惑の力による。
投資家として生計を立てていくならば、その方法は大きく3つに分けられる。1つは、特定の分野に通暁すること。1つは財務諸表を読み解き、統計等の手法で先行きを分析できる力を持つこと。そしてもう一つはインサイダー。
法に触れないことを前提とするならばそのどちらの方法にせよ、数学が必須となる。高校時代に確率や統計、微積ができなかったのならば、投資ということばを借りた博打に過ぎないことを覚えておきたい。
いまではNISAやiDeCoといった、比較的リスクが少なく、税制優遇措置までついた制度があるけれども、決してリスクがゼロとはなり得ない。昨今のコロナ禍を見てもよくわかるとおり、投資に絶対はない。そんな中でも、確実な投資先があることをご存じだろうか。
それは他ならない「自分自身」だ。
r>gは、フランスの経済学者トマ・ピケティが示した不等式で、rは資本収益率(return on capital)を、gは経済成長率(economic growth rate)を指す。資本によって得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということを意味する。
それはだれしもが何となく感じていたことだと思う。経済は上向き、日経平均株価も上昇した。そんなニュースを見ても、給与は何も変わらないから実感もわかない。資本家階級が潤う一方で、ほんとに景気は回復しているんだろうか?と疑問に思う。そんなギャップと閉塞感が漂うなかを、新型コロナが襲った。
昨日、とある番組が目に留まった。最近ありがちな、「コロナ禍でも成長できている企業のアイデア」の特集だった。
この不況を逆手にとり、成長を成し遂げるアイデア。なるほどと思うのだけれども、それをまねすることに意味はない。アイデアそのものに価値があるというよりも、アイデアを生み出せたというそのこと自体の価値の方が、はるかに大きいからだ。
かつてビジネスフレームワークを開発したBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)も、それを一般に広く公開した。そんな自社の伝家の宝刀をやすやすと公開して、競争相手が脅威になるような心配はないのか?
そんな問いに対し、フレームワークそのものに価値があるのではない。その使いこなし方にこそ価値があるので、公開しても構わない。そんなスタンスだったと記憶している。
アイデアも何をやったかに価値があるわけではなく、どういう状況にあって、どのような方法で打開策を思いついたのか。その過程にこそ真の価値があるということだ。形だけまねしてみても、そのノウハウがなければ、ちょっと変化のついた不測の事態ではもう対応できなくなってしまうことは想像に難くない。
資本が大きければ、1を100にも1000にもできる。それは一見強みに見えるのだけれども「1」という前提がなければ何もできないという弱みも同時に示す。「0」に何をかけても0でしかないことは、小学生でも理解できる。
私は、1を100や1000にできる強さなんかより、ゼロから1を生み出せる強さのほうが欲しい。常に追従するしかないというのは、変化に対応しきれないということだから。ではそんな強さを身につけるにはどうしたらいいのだろうか。
その答えはただ一つ。自分に投資するしかない。
本を読む、勉強する、いろんな体験を通して知見を磨く。
どんな有意義なことをしていても、「楽しい」だけで終わってしまう人間は、いまこのような苦境でまっさきに切られてしまう人材にしかなれない。
人は新しい機能や、より高性能な処理を求めてスマホを最新機種に買い替える。
私も同じで、自己投資のための性能のため、筆記具にこだわる。鉛筆よりシャープペンシルがいい、シャープペンシルよりもボールペンが使いやすい、でも一番使いやすいのは万年筆だ。
けれどもアイデア出しには淀みなくかけて消すことも手軽な鉛筆の方が万年筆よりもいいし、とっさのメモでは取り回しのきくボールペンがいい。ようは目的によって異なるのだけれど、そのどれもが自分への投資であることに変わりはない。
空手は、そして武道は、自分への投資の手段の一つでもある。
いまではSNSを活用できない企業は、もはや競争にすら参加できない。そしてSNSの活用という中には、トレンドを見抜く力、映像・写真編集による構成力、既存の視点に捉われないアイデアの生み出し方など途方もないスキルが求められている。
この傾向は当分変わらないとしても、武道が育んでくれる心の在り方や礼法の価値が色あせることはない。武道が育み、磨いてくれる人格にこそ、協力してくれる人が現れ、人材的基盤を築く。それは門馬師範を見ていて誰もが納得しうることだろうと思う。
どちらか一方が大事なのではなく、その両方を充実させようと努力できる人間こそが、このコロナ禍を乗り越えることができる。もっと正確に言えば、コロナに限らず、不測の事態でもしっかり対応することができるのだと思う。
そして自分に投資できるのは、自分自身でしかないことも心に刻んでおきたい。
「いま自分が何を為すべきか」
それを考えられない人は、資本主義という競争の中で生き残ることはできない。少なくとも。いつ、このような災禍が襲ってくるともしれない世界の中では。
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