面接で聞かれる定番の質問に「趣味は何ですか?」というものがあります。
自分の趣味って何だろうなと考えたとき、実は何もありませんでした。
酒も飲まない、たばこも吸わない(これらが趣味と言えるかどうかは別として)、パチンコや競馬のギャンブルもやりません。
文具が趣味じゃないの?と言われそうですが、仕事や勉強に酷使するので、こだわることはその一環であって趣味というわけでもない。
本を読むのも生きていく上で当たり前のことなので、趣味や特技でもありません。
趣味の定義っていうのはあいまいかもしれませんが「時間の合間、余暇を使ってリフレッシュできる活動」だと思っています。
そんな中、最近できた趣味?が「弁当詰め」です。弁当作りではなく、弁当詰め。はっきりいって、節約と健康のためにはじめたものを楽しんでできるようになってきたというくらいです。
最近は一年の中で一番忙しい時期のため、夜帰れば、翌日弁当箱に詰めれるおかずを菜穂子先生がつくってくれているので、とても手間がかからず助かります。ありがとうございます。
空手は!?と思われるかもしれませんが、空手は趣味ではありません。むしろ趣味は空手でしょう?と言われるとカチンとくる方です。
私の職場にも武道をしている人がいます。今でも一ヵ月に何回か練習に向かっているそうで「剣道やってます」ということです。
捉え方は人それぞれなので否定すべくもありませんが、門馬道場の場合、それではとてもやっているとは言えない。
そもそも、稽古のために「万障繰り合わせ」して、プライベートだ残業だを調整して優先している時点で、趣味の領域ではありません。必要なことをやった上であまった時間が「余暇」で、余暇をつかったリフレッシュのための活動が趣味。
あまりものを当ててきた程度で、「人生の中で大事だ」とは私はとても言い切れません。何をおしてでもそれに賭けてきた。だからこそ、自信をもって「空手は趣味ではないけど、自分の人生の中で大切なものです」と言うことができます。
就職活動時、面接では落ちる気がしませんでした。実際、面接で落ちた記憶もありません。
でもそれは話し方だとかレトリックとかそういう小手先のものではなく、本気で取り組んできた人の話には必ず熱が宿るということ。そして人は、その熱に惹きつけられるのだということです。
あらゆるものを犠牲にしてでもなおそれに取り組んできた人は、おのずと向き合う姿勢も変わり、視点も変わります。それはやがて視野を広げ、世界の観方を変移させ、他の人には見ることが叶わない世界を知ることができる。そんな人間に、「有望な人材を採用したい」と思っている採用者が興味を示さないわけがない。
ただ、それがそんなに簡単に手に入るものならば、誰も苦しみません。すべてを賭ける。そこにはいろんな犠牲がつきものです。だらだらする時間、遊びにいく時間、家族サービス、時にはやらなければならない仕事…。
全てを切り捨てろというものでもなく、その場その場で何を優先すべきかは判断します。が、その中において空手というのは常に優先順位の高いものであるということです。
それぐらい賭けてやってきたものでないと、「人生を生きていく中で大切なものになる」なんて言っても説得力のかけらもありません。
いま大勢の人が使っているipohone。それを生んだスティーブ・ジョブズのスピーチ(スタンフォード大学卒業式)に有名なこんな話があります。
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先を読んで点と点をつなぐことはできない。あとから振り返って、初めて点と点がつながっていることを知ることができる。
だからあなたたちは、点と点が将来どこかでつながると信じなければならない。
勇気、運命、人生、カルマ、なんでもいいから信じてほしい。
点がやがてつながると信じることで、たとえそれがみんなの通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれるのだから。
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亡くなる前に、「あのスピーチに足したいことはないか?」と問われたジョブズは、「もっと大きな声で伝えたかった」と答えたそうです。波乱万丈な人生をおくりながら、自身が成功をおさめながらも常に創造の世界と向かい合ってきた。その中で考え抜かれ、完成した一つの答えだったのでしょう。
私は創造の世界と向き合ってきた経験はほどんどないので、それとは違う世界を通して同じことを教えていかなければならない。それが空手なんです。
幼いころ、青春時代、社会人。自分の周りの環境は絶えず変化してきたけれど、それでも常に変わらずにあった「極真空手」という世界。
新しい生活が始まり、やりたいことを見つけ、道場を卒業する門下生も数人いました。願わくば、ただ単にスポーツを教えるだけでない、生き方の指針を示してくれる、いい先生に巡り合うことを願います。
私は私で、すべてを賭けてきてわかったものを門下生に少しずつ伝えていこうと思います。私自身はまだまだ未熟な身ですが、幸い門下生。師である門馬師範がいらっしゃるので安心してついてきていただければと思います。
この世の中は、不平等です。憲法なんて法の建前のようなもの。生まれながらにして貧富の格差があり、環境の格差があり、才能の格差があり、知識の格差がある。それらが厳然とあるからこそ、平等が謳われるのです。でもそれに不平不満を叫んでも仕方がない。それを受け入れたうえで「じゃあ自分はどう生きていくか?」が人生というもの。保護者のみなさまは、よくお分かりだと思います。
その手助けは、極真空手ひいてはそれによる武道教育がもたらしてくれる。
この言葉にもっと説得力が宿るような生き方をしていかなければ、ですね。
改めて確認して筆をおこうと思います。私自身への戒めと、明日へ向かうための覚書きとして。
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