2023年4月19日水曜日

しりとり

 桜が舞い散るさまは風流で酒の肴にもなるが、対しておっさんの心が舞い散る惨状は見てられない。


 年度末を終え、決算真っ只中である。ブログに書かなければならないことを大事に大事にため込んでいた結果、もはや収拾がつかなくなってしまった。サザエさん時空で記事を展開しなければ時系列もくそもなくなってしまう。その複雑さは筆舌に尽くしがたい。尽くしがたいので、書かないことにしたい。


 忙しいは、「心を亡くす」と書く。亡くなっているはずなのに、楽しいものは楽しくて目の前のやるべきことから全力で目をそらすのに余念がないし、不快なものは不快で葬り去りたくもなる。つまりしっかり生きているのだけど、余裕がないことを私たちは亡くすと言っている。冒頭で述べたとおり、桜とともにおっさんたる私の心もすでに散り果てているのだけど、余裕がなくなるとどうなるか。


 しりとりという遊びがある。みなさんご存じの通り、ことばの最後の文字をつなげていく、ことばあそびの一種だ。そして小さい子供はたいへん、この遊びが好きである。言葉を覚えたての幼子ならば特にだ。


 我が家も車を長時間運転する機会が多く、しりとりになることがよくある。しかしだ。しりとりの本質は、言葉あそびという柔らかな仮面を被った「語彙力のシバき合い」に他ならない。


 博覧強記こそが強者であり、しりとりの敗北はすなわち知識、記憶力、瞬発力、ひいては教養の敗北を意味する。これはもはや人間としての負けといっても過言ではないかもしれない。ゆえにそうそうに負けを認めることは許されない。


 しりとりで強者たるには、普段から辞書と接することが不可欠になる。このとき大事なのは、電子辞書では紙の辞書にかなわないということ。私は本も筆記具もアナログ派だけども、辞書もアナログ派だ。デジタルは便利な面も多いけど、致命的な弱点もある。


 しりとり力の強化もその一つで、辞書ならば「〇から始まることば」をもりもりとみて覚えることができる。電子辞書ではせいぜいサジェスト表示で一部が表示されるに過ぎない。検索で狙ったことばしか、表示できない脆弱なものなのである。


閑話休題。


 そして、しりとり界隈で猛威をふるっている戦法がある。「”る”攻め」だ。言葉の中でも少ないとされる「る」で始まる言葉で畳みかけ、相手の語彙力を削いで敗北させるという凶悪な戦法である。格闘ゲームは体力のライフゲージを削って戦うが、しりとりは相手の語彙力を削ぎあうのだ。


 しかしこういった特定の文字で攻め立てる戦法は、何かの拍子で相手に返された途端、刃が自分を向くことになる。そこで、「る攻め」をするには「る返し」も準備しておかなければならない。


 例えば、

「ルーブル」(お金の通貨)

「ルノワール」(画家)

「ルチル」(鉱物)

やや苦しいが、「ルル」(風邪薬)などでカウンター倍返しを決めることも可能になる。なんか解毒剤がないと平気にならない毒薬みたいだ。

 るで始まることばが少ない、ということはそれは己のリスクをも孕む。ゆえにこういった返しがいくつ用意できるかを加味した上で、何の言葉で攻め立てるかはそのひとのセンスによる。

 弱点は相手に2~3巡で気取られるころにあるが、ここではあまり踏み込まない。

 しりとりが進行すると、やがて語彙力が枯渇し、相手の知性に恐れ入って敗北を迎えることになる。


 ところで、もう一つ敗北を決する条件がある。「ん」で終わる言葉を言ってしまうことである。良識ある大人からすれば、敗北とわかっているワードを反射的に言ってしまう機会はそうそうない。このルールは、幼いこどもたちのためだけに設けられている、形骸化したルールなのだろうか?

 

 裁判官と弁護士がしりとりをする一幕が、某ドラマであったのだが、「香港(ほんこん)」は英語表記でHong-Kongだから、「ん」ではないため負けにはならない、と主張していた。察するに「ほ攻め」されていたのだろうか。そういう考えかたもあるのかと、思ったことを憶えている。


 しかし、もっと何かがあるはずだ。

 「ん」で始まる言葉はない、だからそれを語尾につけたワードを言ったものが敗北する。



 これは狭い了見でしかないのではないか?という仮説を大学生だった私は立てた。しりとりの始祖たるルールを創設したものが、よしんば辞書の全てを大脳新皮質あたりに彫刻刀で彫り込んでいたとしても。それはあくまで辞書の中での世界である。日本語の中では「ん」で始まることば、辞書には「ん」の項目がなかったとしても、もっとグローバルな視点を持てば「ん」で始まることばもあるかもしれない。



 しりとり強者であり続けるために、この可能性に気付いた私は、経済学と全く関係ない文献を、夜な夜な付属図書館で徹底的に調べ上げた。

 気づいたけれども途中で調べるうちに、独自過ぎる研鑽を重ねまくった挙句の果てが、いつくるともしれないしりとりのためであり、いかなる分野にも応用がきかない知識に習熟してゆくほかない己に怒りが湧き上がってきたりもした。そしてたどり着いた解は、封印されていた。


 のであるが、その封印を解き放つときがきてしまったのである。家族での車しりとりにおいて、菜穂子先生、たけるが徒党を組み、私に「る攻め」を繰り出してきた。いや、他の文字攻めだったかもしれないが、どんな五十音で攻め立てられてても蹴散らしてやるわ、と思っていたものの、そこは心を亡くしてゾンビな私。何かの拍子で「ん」で終わる言葉を言ってしまった。


 勝ち誇ったような2人の顔。そして宣言される「お父さんの負け」。


 否


 私は敗北していない。しりとりの敗北は、人間としての負けである。いまこそではないか。

 私「Nzambi」


 菜「は?」

 私「ンザンビ」

 菜「なにそれ」

 私「コンゴで信仰されている神で、ゾンビの語源」


 まさしく禁じ手そのものであり、しりとりの根幹を覆しかねない「ん」から始まる言葉。この言葉に出会ってから約17年。悠久の時を経て放たれたのである。


 まぁ、悠久のときを経て放たれても「あ、そう」で流されて挙句、私の負けで終わってしまったんですけどね。心に余裕がないときこそ、わけのわからない一手を放ってしまうこともある。心が舞い散ったおっさんの行動は、人智を超えた、人の理解が及ばぬもの。


 その行動には、わけのわからないブログの更新も、もちろん含まれるものなのである。







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