東京・銀座の高級時計専門店で起きた強盗事件は衝撃を与えた。
1億円という被害額もさることながら、それを実行したのが高校生を含む16~19歳の少年たちであったということだ。
この事件は、いわゆる「闇バイト」の可能性が指摘されている。闇バイトとは、SNSやインターネットで「比較的短時間で高収入が得られる」文言で募集しているもので、違法なものが多いのが特徴だ。
誰であってもお金は欲しいに違いない。少なくとも、今の社会で生きていくために、お金は必ず必要になるからだ。誰でも生きていくには衣・食・住が必要で、それはお金でしか得ることができない。必要不可欠であり、あるに越したことはなく、あるならば少しでも多く欲しい。それは誰しもが同じことだと思う。
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と、ここまでが前置き。これまでの教育では「お金の話は卑しいもの」とされる風潮があった。「武士は食わねど高楊枝」とは言ったもので、宗教教育のない日本の道徳心を育てた武士道の影響もあり、清貧さや高潔さが重んじられてきた。
されど時代は変わり、環境が変わったことで価値観も変容を免れない。お金が大事なのが、いまの資本主義。それなくして社会的地位はなく、社会的地位なくば信用もなく、信用がなければ尊敬もされない。去年度からは、高校の教育で「お金」の授業があり、資産形成や投資を含む金融教育も取り入れられている。SNSの普及によってネットリテラシーも学ぶ点にも注目したい。
が、時代の先端をいくものばかりが重要なわけではない。リベラルアーツと呼ばれる、それこそ学校教育で学ぶものの重要性はこれからも変わることはない。
例えば経済学。分解すれば、論理、算術、幾何になるわけだけれども、かみ砕いていうならば。市場の価格は需要と供給の均衡で決まる。もっとわかりやすく言えば「市場価格から外れたものには必ず理由がある」ということになる。
ここで話を冒頭に戻したい。
短時間での高収入。願ってもない条件だけれども、実際、この社会でそれが実現できるのはよほど特殊な能力やスキルがある人に限られる。供給が少ないからこそ、需要がはねあがって、価格も釣られてあがる。
医師や弁護士が高収入なのは、その資格の取得難易度が高いからであるし、世の中の高収入な社長さんは、あらゆるリスクをとって実行できる行動力と先見の明があったからだ。
誰でもできる仕事で高収入。そんなものがあるとすれば、それは法を犯すしかない。または、必ず何かの理由がある。ということを見抜けるだけの教育を施すことができなければ、今回のような少年犯罪は増加の一途をたどるのではなかろうか。
闇バイト、というのは、ネットでの表現を借りれば「犯罪組織の人間ですらやらない、高リスク低収入のバイト」といことだ。比較的短時間で数万円の収入であったとしても、その後に支払う代価はかなりのものになる。金額に比して代償が大きすぎる、それが高リスクということだ。
実際、一部不祥事や捏造が明るみになることもあるが、それでも日本の警察は優秀だ。高級店でケースたたき割って、ものを盗って逃げる、なんてほとんどの人ができる行動だけれども、実はその後の方が難しい。
古物商は免許制。意外と知られていないが、この免許の審査は厳しく警察が行う。暴力団関係者や犯罪歴のある人は欠格要件にひっかかり、取得できないようなものだ。
なので、古物商と警察は密に連携がとれているため、高額商品の盗難品が出た場合、すぐに発覚するようになっている。つまり盗んできたとしても、それを現金化するためにはそれ相応の人脈やルートが必要になるため、それをこの少年たちができるとは考え難い。そうしてみえてくるのが「使い捨て」といいう現実であったりする。
思えば、すごい時代になったとつくづく思う。いまはロシアとウクライナにみられるよう人対人の構図だが。さまざまな分野で識者が警告しているよう、人VS AIとなる未来もそう遠くないはず。いや、むしろ。すでにイラストレーターやモデルといった仕事はAIに奪われつつあり、すでに人VS AIの構図は出現している。
少子化と呼ばれる未来が確定している以上、その中で国力を保つためには教育による他ない。これから教育はより充実していくとともにその重要性を増すことは想像に難くない。するとどうなるか。みんな同じような教育を受けることができ、いまのような教育格差はなくなるだろうか。
残念ながらそうはならないことはこれまでの歴史が証明していて。教育環境が充実すれば、より富裕層はさらなる充実した教育資源を与えることになり、格差はなくならず、単に上位にシフトするしかない。
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そんななかで。言ってしまえば、私は空手を習わせているご家庭は、みなさんすでに富裕層だと思うわけです。稽古事、というのはそういうもので、義務教育でもなければ、生きていくために必須のものではない。けど、よりよく、充実した人生を送るためには必要不可欠なものです。
門馬道場では、師範は「突き・蹴りだけを教えるだけの指導員ならいらない」とよく言われます。それらならば今の時代、ネットだけで代替できるものですからね。でもそうではなく。突き・蹴り、その応酬を通しての教育こそが武道教育であると。
世相を読むためにニュースには目を通していますが、このような前途ある若者が、安易な感情で将来を失ってしまうことは悲しいですね。けれど私は、そんな人たちを守る力は残念ながらありません。なのでせめて。手の届く範囲で。道場で教えている子供たちは守っていきたいし、やがて彼らがまもっていけるような大人になってくれれば、思います。
ルーキーズからチャレンジカップ、審査会、夏季合宿と続きます。すべてに意義があるものですので、ぜひ日程調整とご参加のほど、よろしくお願いいたします。
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