現在の小学生たちは、書道で墨汁を使わないらしい。
この鮮やかな書は、水だけで書けるとのこと。
乾いても消えない水だけで書けるお習字用紙。(合同会社イージーモード) |
何やら複雑な気持ちがしないでもありません。
小学生のころ、習字を習って(習わされて)いました。墨汁を垂らして筆で書く。乾くまで新聞紙に挟んで、一回の稽古で15枚ほど書いた記憶があります。
中学校では、恩師が書道の顧問だったこともあり、思い出深い授業の一つでもありました。
墨汁があるのに固形の墨を擦ったり、それで余計に汚れたり。そんな時代も過ぎ去ろうとしているようです。
伝統文化にイノベーションは必要か?
そう考えると、これまた難しいものがあります。
私たちの極真空手も、いわば伝統的な空手のイノベーションによる産物です。それまでは危険とされていて寸止めの組手であったものを、直接打撃制として世界で初めて取り入れたのが、極真空手。当時はケンカ空手だの、品がないだの相当、叩かれたそうです。
しかしそのイノベーションから、けがを避けて稽古ができるサポーターの開発があり、その実戦性ゆえにムエタイとの邂逅から下段回し蹴りを取り入れ、今や空手の代名詞と言われるような技術にまで高められました。
いまでこそ当たり前にあるルールであり、おびただしい数の空手団体があるわけですが、そのすべては源流をたどれば極真からの派生になります。(※まったく未経験で道場を開いて師範になられた先生?は除く)
伝統文化とイノベーションという、一見すると相反するこの組み合わせをどうみたものでしょうか。
その恩恵を受けている身だからこそ、思うところもあるわけです。
例えば、汚れない、片付けもほとんど必要ない。そのようなメリットがこのお習字用紙にはあります。けれども、伝統文化というのは、効率性によって殺される部分も多分にあるように思うのです。
いまは「コスパ」という言葉に代表されるよう効率性が重視される時代です。長いYoutubeは再生されず、数十秒でコンパクトに要点をまとめた動画が求められる時代。(TikTokなどですね)
一時期、映画はストーリーの要点だけをまとめたファスト動画で鑑賞する、という若い世代のライフスタイルが話題になりました。映画を表現手段として生業とする人からすれば許しがたい状況なのでしょうが、SNSを利用し、発信する私のような仕事の場合は、その是非を論ずるまでもなく、トレンドにあわせていくほかありません。
ですが、伝統文化となるとまた話は違ってきます。例えば効率性だけを求めることが正しいのだとすれば、とっくに茶道なんていう文化は廃れていることでしょう。お茶を立てるより急須で煮だした方が早いですし、もっと言えば「Bender Machine」と評されるような日本では、自販機やコンビニで買ってきた方が手っ取り早いですよね。
でも現状、茶道は廃れているわけではありません。そこには効率性だけでは持ちえない「メリット」があるからでしょう。
茶道に関しては門外漢ですが、大学の時、立場上、茶道部の野点に参加させていただいたことがあります。単にお茶を客に振る舞い、お茶を頂くだけではありません。まず、亭主と客人の精神的な交流を重んじる姿勢があります。そのための空間であったり、間であったり、厳格な礼儀作法の中で、流れるようなお茶を立てる振る舞いがあって。それらが渾然一体となって、言いしれる安心感の空気を感じることができました。
日本文化で教養を育む。メリットとしては最強格ですよね。
効率性だけを求めると、大事な根っこの部分を失ってしまう危険性を孕んでいるのです。
極真空手はというと、そのきらいを否定することはできません。勝負偏重主義、と言われ組手が主。空手の本体といっても過言ではない型の重要性が見直され、競技として発展してきたのは、ごくごく最近のことです。
それでも、その根っこの部分の重要性とそれを失うことの危険性に気付けたことでは僥倖に他なりません。これは「型と組手の両方ができてこそ総極真である」という大石範士や門馬師範はじめ先生方の築き上げた大きな財産でもあると思っています。
冒頭に戻り、習字の用紙について。東洋は墨の文化、西洋はインクの文化と言われます。私たちは通常筆記するときは黒色の鉛筆やボールペンですが、西洋では青が普通なのだそうです。その名残で、役所などの書類記入の注意事項にも「黒または青で記入」とされています。
黒だからこその文化、として挙げられるのが雪舟に代表される墨絵でしょうか。黒の液体のみでわびも寂も含んだ情景を映し出す技法は、まさに国宝そのもの。モノクロ、なんて言葉もありますが、墨と日本人の付き合いの歴史は長いものなのです。
効率性を求めてのイノベーション。それはけっこうなことだと思います。しかしながら習字の授業は本来、普段使うことのない筆文字が書けるようになることを教えるのではなく、日本文化としての書を伝えることなのだと思っています。効率化の中にも、世界に誇る文化の根幹をしっかり伝えていただけるのであれば、このようなイノベーションも歓迎されるのではないでしょうか。
いやー、でもすごい時代になりましたね。きれいはきれいなのですけども!
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